ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

ジャンプ出来ますか? No.375

今日ちょっとショックなことがあった。

職場の子どもイベントでピョンピョンジャンプして吊るされたお菓子をもぎ取るという遊びをやっていた。

 

これはフィリピンの遊びでその木の枠作りから高齢のおじ様たちが作成した立派な代物だった。その枠には滑車がついていて取ろうとしたら枠を引っ張って上げたりして、なかなかお菓子をゲット出来ない。

子どもたちは大盛り上がりだった。

大人たちもやってみることになり、それを作ったおじさまのひとりが階段を使ってその枠を目掛けてジャンプした、いや、しようとした。実際にはほぼ飛べておらず、その姿がショックでもあり、おかしくもあり、私も笑ってる場合じゃないと、その場でほんの少し飛んでみたりした。

 

その方は60代後半の長身の男性、スポーツマンらしく見えるし、ロードバイクを趣味とするすてきなおじさまだ。

 

しかし何回か飛びなおされても同じだった。

 

ジャンプはどこの筋力鍛えたらいいんだろう。

子どもがピョンピョン飛び回る中で、ダッシュで走れたり、飛び回れたりしたのは何十年前だったんだろうとショックを受けた頭でボンヤリ考えた。

 

うっかり、今も出来ると思い込んでたけど、やっぱり年は確実にとっているもんなんだな。

 

そのおじさまが「さっきのジャンプで腰痛めたよ。ハハハ」と笑っていた。

 

気持ちとのギャップ、悲しい現状だった。

その男性以上にショック受けてた自分に驚いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

新NISA切り替え簡単だった No.374

コロナ禍で暇すぎて家計管理に目覚めた2年前。固定費を削り、サブスクを整理した。これを10年前にはじめてたらどんなに余裕だったかと後悔したり。

その頃つみたてNISAも始めてみた。

 

この歳でNISAと言ってもあまり増えないかもしれないけど、(投資信託複利で増えていくが爆発的に上がることも無い代わりに年数があれば嘘みたいに増える。リスクも少ない。そしてわたしは年数が足りない…年齢)

それでも何でもやってみないと気がすまない性格なのでとりあえず、人気YouTuberに言われた通りに楽天証券ではじめてみたら、およよよ、思いの外、メチャ増えててびっくり。

これは銀行預金してる場合じゃない!

 

と言っても新NISA(1800万円まで半永久的に利益に税金がかからない。現在は年40万まで無税、20年間、それ以上は20%の税金が引かれる。)の切り替えとか、今までの積立はどうしたらいいのとか?考えるのが面倒で放置していた。

 

でもここはそろそろ切り替えやらなきゃいけない時期。久々に楽天証券のサイト開いてみたら、とてもわかりやすく設定出来るようになっていた。あっという間に気になっていた来年1月からの予約完了した。

 

注)楽天証券の新NISAの予約サービスで行ったけど、現在の月の満額33333円で銘柄も金額もそのままで良い方は自動で引き継がれるので手続きはいりません。それ以上の金額を特定口座で積み立てていた方は新NISAに切り替えた方がいいです。

 

 

今まで適当に買ってた銘柄を見直し、一本に絞る。チェック付けたり外したりするだけ。

今のところ楽天クレジット決済は5万円➕楽天キャッシュでは5万円まで出来るらしい。いずれは10万円までクレジット決済できるようになるとか。(意味がわからない人もやってたらわかるようにきっとなるよ。)

積立設定は鼻息荒く設定しててもいつでも簡単に変更できるから安心。

 

普通の地味目の生活が染み付いた身としてはお金はものすごく多くは欲しくない。でもやっぱり無いと困るし、あったが便利。そのためには少しだけ行動することは大事かなと思う。

 

1ヶ月ぐらいモヤモヤしてたけど、なんてことなかった。やっぱり何でもやってみた方が早いってことだ。

 

まだ証券口座開いていない方は、あまり勉強し過ぎないでとりあえず少額からでもやってみることが大事かも。銀行じゃなくて、楽天証券がおすすめ。(手数料がメチャ安いので)

SBI証券も人気。

 

かなり下がることもあって、値動きにビビることもあったけど慣れてしまえば少々の下落にはびくつかなくなった。だってそれは老後の資金だから結果的に上がって行けば、それまでは使うことはないので一喜一憂する必要はないのだ。

 

やっぱり習うより慣れろ。

 

後は放置で人生楽しもう。

 

お金のことが少しわかると、不安材料が減っていく。若い人たちのお金の勉強は大事だなと切に思う。

 

バンクアカデミーの動画 

これわかりやすかった。

https://youtu.be/vZujXrJ8eVs?si=WZHCBqHCg2Zl4JXJ

 

 

 

 

 

 

ダイエットは寿命のため No.373

そんなにドカ食いはしていない、決して病的に食べているわけではない(はず)なのに、今日のコンサートに履いていくパンツがどうやっても入らない。去年もダイエット出来ないと言っていたのに、さらに太っている。無意識に太るとはこのことなのだ。

 

実家に帰るとなぜかスリムを保っている口の悪い弟が「お前の腹はなんや、それ!!」とオットでも怖くて言えないセリフを吐き、「あんたも少し痩せんと病気するよ。」と私より太っている母からたしなめられる。本当に心配そうに言われるのでマジ萎える。

 

しかし、正直に彼らの言っていることは当たっている。健康診断をしばらく避けて、体重計にも乗っていない現状況では数値的にも悪いかもしれない。ここ最近2回ほど心臓あたりがキューと苦しくなったことがあった。どちらも呼吸が出来ないほどじゃなかったけど、今までになかった症状が出て、ちょっと怖くなった。それが脂肪のせいかどうかは定かではないが、まぁ太っていて体にいいことはないだろう。

 

職場の若い子の「歳とったらふっくらしている方が、絶対きれいと思いませんか?」と彼女の慰めともとれる言葉を鵜呑みにして、「そうよね~。」とこの脂肪を肯定された気がして、デスクのお菓子をむさぼっていては目も当てられない。

 

今は、足を故障しているため、散歩といってもあまり長い距離は出来ない。運動という運動があまり出来ないのだ。代謝はどこまでも落ちるのみだし、これは食事をやはり見直すしかないと、ほんの数年前にもレコーディングダイエットをやっていたことを思い出す。とはいえ、あんな面倒なことはやる気はないけど、健康寿命のためにもどうにか立ち上がらなければならない。

 

8年ほど前に手術をした時、病気自体よりその得体の知れないストレスで7㎏を2か月ほどで痩せたことがあった。食欲はあったのだがいったい人間の体はどんな構造になっているんだろう。特に今は急ぎのストレスがないということなのかもしれない。あと、オットが現在、義実家にいるので夜はひとりパーティ状態なのもきっと原因だ。

 

現在エンディングノートの講座を受けている。やっぱり遺言は準備しとかなきゃといいながらも、どこか他人事だったけど、胸がキューとなった時から、通帳の管理や暗証番号、言い残したいことはみんながわかるようにちゃんとしとこうと思うようになった。歳とともに万が一では無くなってきて、明日死ぬかもしれないのだ。

 

そして「おばちゃん最近太ってたもんね、、、心臓にきたのね。」と言われて最期を迎えたくはない。わたしのイメージがそこで終了するのは悲しすぎる。(講座を受けていきなり、葬式モード)

 

そこそこきれいに、脂肪は少しだけの人生を送りたい。

ダイエットは健康寿命を延ばすため。そう思ったらやらざるを得ないだろう。

 

たった今、パンツ入らない事件が勃発したので、その上がらないファスナーのパンツを履いたまま、宣誓の意味でここに残します。

 

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食べ続けた旅行笑

 

 

 

 

 

 

 

 

リタイア後、親の施設で再就職するということ No.372

夫は退職して、しばらく家にいたが、現在は一年前に施設に入った義母の施設で働いている。その施設のオーナーが同級生で「暇してるならうちで働いて。」と申し出てくれたのだ。

と言っても義実家は100㎞離れているので、通うわけは行かず、『多分断るだろうな~。』と思っていたらなんと二つ返事で「行こっかな。」と即決した。昨年の秋から、30年以上住んだこの町をあっさり去って行ったのだ。ほんとに急な話だった。

『えっ?明日からひとり暮らし?ご飯作らんでいいの??』寂しさやこの家でひとりになる怖さよりも自由になる嬉しさの方がはるかに勝って、自分だけの余りある時間に人生のご褒美をもらったような気になった。よく考えるとひとりになるのは初めてのことだ。

 

知らず知らずのうちに夫ブロックがかかっていたのかもしれない。傍から見たら自由にしているようでも、少し大きな買い物や友達とのお出かけなど、スケジュール調整したり、それに伴う準備もしたりと何かと気を使うことも多かった。(と気づいた。)とにかくわたしのパラダイス生活は急に幕を開けたのだ。

 

一方、夫は母親とは良好な関係ではなかったのに、その施設で働くと即決した理由が不可解だった。長男でもあるし、役目を果たそうとしてるんだと思った。母親とはとても同居は無理だが、施設の中で見守るぐらいは出来ると思ったのだろう。実際は自分の親ばかりを見ている訳にはいかないらしいが、ちょうどいい距離感で見守りは出来ているようだ。

もうひとつの理由は実家が空き家になって荒れていくのが嫌だったらしい。子どもがいないわたしたちは、家じまいを考えなければならず、自分たちが過ごす間は整えておきたいと思ったのだろう。一石二鳥的な感じだったのだ。今は庭木の手入れをしながら、週3、4日のパートに出かけている感じだ。ごはん作れる人でよかったとづくづく安堵した。

 

いずれ、わたしも今、住んでいる家を引き払い、義実家に引っ越す予定だが、夫もわたしが怖いのか「いつ、引っ越して来る?」と聞かれることもなく、二週に一度、単身赴任から帰ってくる旦那さんといった生活を送っている。「おれはどこにいても木を切らないかん。」と実家にいても、帰って来ても庭木の剪定に明け暮れている。

 

誰だったか退職後の職場を親の施設にすればいい。と書いている作家がいた。たしかに偶然だったがこれはいい案だと思った。施設の費用ぐらいの仕事をしながら親を看ている感じだ。

(義母は自分の年金で支払ってます😆、昔の年金はいい!)

 

親は親で特にうれしくは思ってないようだが、(夫が目の前にいてもわたしに用件の電話をかけてきたりする。)心は安定していると信じたい。毎日家族と面会出来ているようなものだ。

 

施設の中には高齢でも元気な人もいる傍ら、胃ろうをしながら生きている人、麻痺で60歳ぐらいで入所しているエンジニア、関東に子どもが住んでいて面会もままならない人など、現実を目の当たりにして、夫は複雑なようだ。自分に置き換えているのかもしれない。明るくない方の人生をヒシヒシと突き付けられている感じなのか。

「施設の人生はあきらめの人生ばい。」と言っていた。個室とは言え、昼間はほぼ集団生活、料理や脳トレ、体操、お出かけなど工夫を凝らしたアクティビティはあるし、食事も自宅で宅配の弁当を食べるよりはよっぽどおいしい。実際、わたしも食べる機会があったが、親子丼と白和えの昼食はうちで食べるよりおいしかった。

 

いたれり尽くせりだけど、自分で判断して生きていた自宅暮らしとはまったく違うと言うのだ。施設のコンセプトは「自宅で暮らしているように生活する。」というものでとてもありがたいのだが、不便でも、寂しくても、食事が満足じゃなくても自分で暮らせる間は、ギリギリまで自分で暮らした方がいいと夫は言っていた。97歳の誕生日まで、行政のサービスなど、あの手この手を使って自宅で暮らした義母はある意味正解だったのかもしれない。夫はルールに従わざるを得ない、今の母の様子を見て、もしかしたら不憫に思っているのだろう。義母は多少の認知の症状があるものの、ここを最後の居場所としてあきらめているのかもしれない。パンフレットにうたってある楽しい施設ぐらしのキャッチフレーズは家族向けということなのだ。家族はその内容を聞いて罪悪感に蓋をしていく。

 

わがままを言っても自宅に帰ることは出来ない。夫の話を聞いて、まだまだ先だと思っていた現実がそう遠くはない現実なのだ。たぶんわたしたちの時代になると施設の内容も様変わりしているかもしれない。わたしは折り紙や脳トレなんかしたくない。その時は好きなyoutuberを追っかけ、運動もイケてる系、おしゃれをしてたまにはお出かけもしたいし、お酒も飲みたい。施設の仲間とも好奇心を満たしてくれる会話をしたい。そんな施設だったら入ってもいいとわがまま放題ぶちまけてたら、「多分、そうなっていくよ。」と夫が言っていた。これだけ多様化してきた世の中、折り紙や脳トレばかりじゃ反乱が起きそうだ。

 

夫が施設で働いてくれなきゃ、こんなことも考えなかった。本人もこの仕事に就いて、後ろ向きな未来が前向きに描けている気がする。覚悟を決めていくというか。

とりあえずわたしは感謝しつつ、パラダイス生活をもう少し続けさせて、と思っている。

 

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全く関係ないお気に入りのキャロットケーキ

 

 

 

 

 

 

書けば書くほど迷走  No.371

ライター、、、とは言えない読者ブログのような(いや、イマドキのブロガーはプロ並み)グルメや人物レポートを始めて8ケ月ほどが過ぎた。もう30件以上を取材した。いい店が多い地区なので楽しさも半分ある。

が、最近になって私には向いてないことが判明した。(謙遜ではなく。)おいしいものはもちろん好きだし、人にも興味があるけど、書くということがどうにもこうにも向いていないらしい。語彙不足、熱量不足に悩んでいる。先日煮詰まってしまって卵料理の表現をCHATGPTにお尋ねしたところ、その部分だけが編集者に褒められた。もう全部書いて!と投げ出したいところだ。

 

相棒がよく気が付いて文章も上手いので、おんぶにだっこな感じなのだが、ひとりだったら絶対続いていないだろう。それでも最初は活字になって発信されると嬉しくてスマホを何回も開いたりしたものだったが、最近では自分の書いた稚拙な文章を読むのも嫌になってきた。自己肯定感下がりっぱなし。

 

かと言ってもっと文章上手になりたいとか、どうしたらみんなが読みたくなるのかとか、追及する気持ちがまったく沸いてこないのだ。ただ文章は下手でも、取材した店や人は誰もがまぶしく、全力で頑張っている人ばかりだったので、そこは踏んばって、瞬発力だけでなんとか書き上げる。自己満でひとりよがりになっていないかチェック、そして終わった後はヘトヘトになる。

 

少しは会社のため、その店のためにはなっているかな。逆にお店の人、ムカついてたらどうしようーーと不安になることも多い。ただでさえ、おばさんオーラ全開で行くので、『こいつらで大丈夫なんだろうか?』みたいに一瞬、向こうがたじろぐ場面もあった。

 

相手もびっくりだけど、こっちも追及心に欠ける自分にほとほと呆れこんでいるのだ。それでもこれはお世話になった社長への恩返しのつもりで始めたことなので社長が天国から「もうやめていいよ」と言うまでは続けなきゃ、かな。

 

会社に迷惑はかけられない。

 

人生、一生修行ね。(大袈裟)

 

 

 

 

 

 

熟睡はマットの効果? No.370

おそろしく深い眠りから目が覚めた。夕食を食べて普段はゴロッとカーペットの上で30分うたた寝をするのが常だが、今日は買ったまま使ったことがなかった(実際にはオットの腰痛のために買っていたけど放置していた)高反発のマットを引っ張り出して、広末涼子大変だなーとゴシップ記事を読みながら横になっていた。

 

一瞬で寝落ちし、『ウッソー!』と目が覚めたら、な、なんと2時間半も寝ていた。21時からのZOOM体操はとっくに終了し、ただいま22時30分過ぎ。そしてそれはかなり深い眠りだったらしく、久々に味わった熟睡感だった。普段も眠れない方ではないし、年と共に眠りは浅くなるんだろうと思っていたけど、いつもの睡眠では回復力が足りてなかったことを改めて認識した。

 

この高反発のマット、楽天のスーパーDEALで50%オフ、かつ、セール中だけのどでかいプラスポイントが1万円近くついていて、そんなに高いものではなかった。これは2.5㎝の厚さだけど、5㎝のものもある。こんなに気持ちよかったら更に効果があるのかも知れない。現在はセールはないので定価のままだけど次回のスーパーセールでポチしようかな。楽天の戦略に軽やかにまた乗っかりそうだ。

 

寝具にはお金をかけろと敬愛するお金の先生、両学長もYouTubeで言っていた。その意味が一瞬にしてわかった気がした。久々に頭の芯まで喜んでいる感じだ。危うい腰痛予備軍の腰もしっかり支えられていてかなり楽だ。布団の質とかまったく気にしたことなかったけどうたた寝でこんなに熟睡出来て満足度は100%は超えてしまった。

 

内容はともかく起きてすぐブログに取り掛かれるほどのパフォーマンス。すごくない?

 

狙うは来月のスーパーセールで5㎝高反発マット!

 

『疲れてたのね、わたし』

 

もっともっとちゃんと寝よう。

 

今日の晩ご飯はセルフ海鮮丼、オール惣菜。『無理はしない』

最近の自分との合言葉、(笑)

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義母の元気な遺言 No.369

あれだけ電話好きだった義母も昨年施設に入ってから電話の回数がとたんに減った。98歳、要介護2、歩行器を使って歩いている。この1年でコロナ2回、大腿骨骨折、進行は緩やかとはいえ子宮がんの症状が出て、元気いっぱいというわけにはいかなくなってきた。

 

昨年施設に入るとそれまでの生活が一変した。

大好きな自宅で過ごしていた時はそれなりに小さな家事や用事があったが、施設では用意されたご飯を食べ、高齢者向けの体操やドリルや習字、調理実習などに参加するしかない。人から指図されるのが何よりも嫌いな義母はほとんど参加していないようだった。バスでのお出かけも仕方ないから行くといった感じだ。「どうせなら100均やスーパーに行きたい。社会がどう動いているかを見たいのよ。花は見なくてもいいの。」と言っていた。それでも自分の最期はここと覚悟していて、それなりに一緒に暮らす利用者やスタッフにも嫌われないように気を使っている様子だった。98歳にもなってわがままに生きられない。施設に入るということはそういうことなのだろう。

 

義母は自分発信じゃない楽しめない人だ。といっても何かやるには年を取りすぎているし、相手も十分高齢者なので、話も噛み合わないのだろう。

 

最近の電話では声に張りがないことを心配していたけど、もうどうしようもない。施設も精一杯のことはしてくれているだろうし、こんなものなんだろうと、気づかないふりをして目をつぶるしかなかった。そんなある日、仕事中に義母から電話があった。あれ?声に張りがある。「〇〇さん、あなた、わたしの洋服で気に入ったものがあったら、遠慮せずに着なさいよ。」、「お隣の〇〇さんが亡くなった時は香典は一万円包みなさい。」、「家の修理は〇〇さんに頼みなさい。」、「おとうちゃまの着物は〇〇(夫)が着れるから虫干ししなさい。」「座敷の棚の食器だけはいいものだから手放したらダメよ。」など、今のわたし達夫婦にとっては化石としか思えないような、聞いても仕方ない話が続いた。

 

施設のスタッフさんが「突然、遺産整理のスイッチがは入ったようですよ。」と言われた。施設へ持ってきた荷物を猛烈な勢いで片づけているらしい。98歳にして遅すぎる感は否めない、もっと早くから取り組んで欲しかった。

実際、わたし達は義実家へ帰るたびに莫大な荷物と格闘しなかればならず、正直、クタクタだ。恨めしいとさえ思ってしまう。ドラマのようにお義母さんやお義父さんの想い出に浸る暇はなく埃まみれになっている。わたしの残りの人生はこの家の片付けだけで終わるのではないかと思ってしまうほどだ。知り合いが明治時代からの家の断捨離は3年はかかると言っていたのが嘘ではないと思った。

 

それにしても義母が元気になったのはいいことだし、うれしい。少しだけ認知が進み、言うことは若干チグハグになってきたが、目標があるとこんなに元気になるのかと改めて驚いた。遺言を思いつくたびに電話があるので3日ほどスマホの呼び出し音が止まらなかった。役に立つ情報はなかったが「わかりました、お義母さん。」をオウムのようにやさしく繰り返すしかなかった。

 

親戚のあれこれ、義父が大家族の長男としてどれだけがんばったか、義父の仕事が忙しくてとても寂しかったことなど、嫁のわたしに伝えることは語りつくせぬほどあるらしい。口頭で自分史を細切れに語ってくれた。

 

そして最後にこれだけは言っておかないとと言わんばかりに「〇〇(夫)よりは先に死んだらだめよ。絶対。」と言った。その時は『そうですね、わかりました。』と適当に返事しておいたがあれはどういう意味だったんだろう。

 

親子の仲はあまり良くないはずだけど、多分、息子を置いて死んでくれるなという親心なのだろうか。ひとりで苦労する姿を想像したくないのかも知れない。

が一方、別のことがよぎった。

 

義父が66歳で亡くなって31年間、義母はひとりで生きてきた。大所帯の長男の嫁として色々苦労は絶えなかったと思うが、家で出来る仕事を持ち、あの家で過ごすことが大好きで自由な暮らしを楽しんでいるように見えた。決して寂しい人生ではなかったはずだ。もしかしたら、「年取ってもひとりになったら自由で楽しいわよ。」と女のわたしだけにあてた遺言のような気がした。

 

わたしは十分自由に過ごしているが、義母の時代はそんな時間も常識もなかったはずだ。不謹慎ながらそのご褒美のような時間が義母にとっては宝物だったのかもしれない。ゆるやかな施設暮らしの中でそんなことを思い起こしているのかな。

 

義母の元気な遺言はまだまだ続きそうだ。

 

 

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