今年2月に亡くなった義母が施設に入った3年前から断捨離に火が付いた。義母の家は100年を超えた古民家でそれはそれは義母の手によって大事に愛でられた家だった。
とは言え、義母が施設に入ってからは大量の荷物をこのままにしておくわけにはいかず、重い腰を上げなければならなかったのだ。使命のようなものを感じていて、とにかく私がやらねば、誰がやるんだと鼻息荒く、断捨離、断捨離とスイッチが入っていったのだ。
優柔不断な夫をよそに、差しさわりのないものからドンドン処分することにしようと誓う。一方、小さなわが家も同じ頃、断捨離を始めていたが、こちらは常に主導権を握る私の思う通りにどんどん進んでいった。自身の決断なので何も迷うことはなかった。それはそれは気分爽快だった。断捨離楽しーと手放すたびに気持ちがクリアになっていって、体に滞った濁りが流れていく感じがした。義母を思い出し、夫に気をつかいながら義実家を捨てまくるのとは訳がちがう。
さてこの義実家、どこからやるか。長男だった義父の兄弟姉妹は8人。それに祖父母までいたので大家族だった。さすがにそのころの衣類などはなかったが茶碗類はパッと見るだけでも、いくつかある食器棚やボードにあふれるほど残っていた。
まず台所の食器棚①を開く。もちろんそこに詰められた食器類は何度も見たことがあるし、使ったこともあるが、義母の管理下にあった時は、さほど気にもしていなかった。いったん私がどうにかせねばとなると、はじめて震えるほどおそろしい数だということを理解しはじめたのだ。
普段使い用、お客さん用、お正月用など食器棚が各部屋にあるのだから、たまったものではない。ここにはさすがにないだろう寝室の戸棚をそっと開くと、そこにも何十年間分の日の目を見ない食器やグラス類、贈答品が箱ごとぎっしりパズルのように詰まっていた。それらにはひとつひとつに誰からいつもらったものかが書いてあった。几帳面な義母らしい。箱は経年劣化でくすみ、新品なのにタオルやシーツにシミがついたようなものもあった。
とにかく食器棚ごとに全部広げていく。茶碗類が堰を切ったようにあふれ出してきた。大げさではなく、この日を待っていたかのようにどんどん自分の足で歩いて出て来ているような気がした。クラクラと目眩がして、めげそうになったが、私しかいないと思いなおし、捨てるもの、譲渡するもの、使うもの(これはほとんどない。)に分類していった。譲渡するものは水洗いもした。
夫は食器には興味がないらしく、母の思い出に浸ることもなさそうで安心した。名古屋に住む姉からは「全部処分していい。」と言われていたので遠慮する人もいなくなった。
「さぁ、やるぞー!」空元気をだしながら、まず、譲渡出来るところがあるか探してみた。
するといい情報がアンテナにひっかかってきた。地元に「ものの譲渡会」というところがあった。ボランティアの方々に手により、使えるものを必要な人たちのところへ届ける橋渡しをしているところだ。何でも疑いがちな私は、怪しくはないかと直接店へ伺ってみると、そこには小ぎれいにした聡明な感じの女性が2名いた。譲渡の懸け橋となり、寄付もそこで募り、そのお金は施設に寄付したり、被災地支援を行っている団体へ送られるということだった。「どうぞ食器を持ってきてください。」とあか抜けた服を着こなした意識高い系っぽい女性が手続きを教えてくれた。ここだったら罪悪感も薄れると、次の日に夫のワゴン車に積めるだけ積んで運びこんだ。係の方はその食器を見るなり「旅館かなんかされてたんですか?」とポカーンとされた。あまりの多さに「次は置く場所が空いたら、こちらから連絡しますね。」とやんわり次の搬入を延期された。まぁとりあえずこれで食器棚ふたつ分ぐらいは片付いた。この会のSNSではいまだに「今回お嫁に行きました。」ともらわれていく茶碗の様子がアップされる。「あっ!これうちの湯呑だ!!和カフェするんだって。」「うちの皿だ!」と写真が上がってくるたびになんとなく胸をなでおろす。
次はフリマで売る作戦だ。メルカリが得意な私は売れそうな食器はどんどん出品した。高価そうなものでも中古の食器はたいした値段はつかないが、使ってくれる人がいるだけでありがたいものだ。夫はこの方法は一番気に入っているようだ。やるのは私なんだが。こうやって義母のコレクションは各地に散らばっていったのだ。
『茶碗類はひとつの家に集まっているから美しいのよ。』と自分のコレクションには自信を持っていた。嫁はこの言葉も全無視して食器断捨離に没頭する。
同じような境遇の人たちが「片付けすると具合いが悪くなった。」「物の多さに途方に暮れて何をどうしたらいいかわからない。」とか言っているがまさに同じ状態が続いていった。
今では無心で淡々とやることに慣れたが、始めた頃は茶碗に憑いた義母の念が襲ってくるのではないいかと本当に思っていた。当時97歳だった義母からは「メモ一枚捨ててはならん。」と言われていたのに、完璧にスルーしているので、恨まれてもしょうがない。ドラマのようにセンチメンタルにはいかないのだ。
そもそもこれは嫁の仕事なのか?嫁という言葉は昭和で終わったんじゃないのか? 名古屋に住む義姉も大きな義実家をたたんだ経験があったり、SNSで断捨離を検索すると同じように実家片付けで大変な思いをしている人が多くいる。『昭和』でこういうことは終わりにしよう。どういうつもりでこんなにため込んでいたのか、欲しいものを買って、そのまま処分せずにいるとどんどん増えるのは当たり前と言えば、当たり前なんだが、もう少し、後の人の気持ちを考えてほしかったなと、ほこりにまみれながら、怒りさえ感じてくる。お義母さん、ごめん、愚痴しか出てきません。
100kmの距離を運転してくる身としては、月一回が精一杯。2泊、3泊のほとんどを家の片付けに充てた。その間、義母の面会や、同じ市内にある自分の実家にも顔を出さねばならず、ほんとに大変だった。食事は極力作りませんと宣言し、朝は夫が作り、夜は近くの居酒屋などで過ごした。街中なので食べることは心配しなくてよかった。小さなご褒美を見つけながら自分流に断捨離を進めていったのだ。
同じ体験がある友人が「やりはじめたら終わる。」という言葉をメッセージしてくれた。この言葉がずっと折れそうな気持ちを支えてくれている。
長い長い断捨離ライフは3年たった今もまだ終わらない。


