ごきげんのツボ

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リタイア後、親の施設で再就職するということ No.372

夫は退職して、しばらく家にいたが、現在は一年前に施設に入った義母の施設で働いている。その施設のオーナーが同級生で「暇してるならうちで働いて。」と申し出てくれたのだ。

と言っても義実家は100㎞離れているので、通うわけは行かず、『多分断るだろうな~。』と思っていたらなんと二つ返事で「行こっかな。」と即決した。昨年の秋から、30年以上住んだこの町をあっさり去って行ったのだ。ほんとに急な話だった。

『えっ?明日からひとり暮らし?ご飯作らんでいいの??』寂しさやこの家でひとりになる怖さよりも自由になる嬉しさの方がはるかに勝って、自分だけの余りある時間に人生のご褒美をもらったような気になった。よく考えるとひとりになるのは初めてのことだ。

 

知らず知らずのうちに夫ブロックがかかっていたのかもしれない。傍から見たら自由にしているようでも、少し大きな買い物や友達とのお出かけなど、スケジュール調整したり、それに伴う準備もしたりと何かと気を使うことも多かった。(と気づいた。)とにかくわたしのパラダイス生活は急に幕を開けたのだ。

 

一方、夫は母親とは良好な関係ではなかったのに、その施設で働くと即決した理由が不可解だった。長男でもあるし、役目を果たそうとしてるんだと思った。母親とはとても同居は無理だが、施設の中で見守るぐらいは出来ると思ったのだろう。実際は自分の親ばかりを見ている訳にはいかないらしいが、ちょうどいい距離感で見守りは出来ているようだ。

もうひとつの理由は実家が空き家になって荒れていくのが嫌だったらしい。子どもがいないわたしたちは、家じまいを考えなければならず、自分たちが過ごす間は整えておきたいと思ったのだろう。一石二鳥的な感じだったのだ。今は庭木の手入れをしながら、週3、4日のパートに出かけている感じだ。ごはん作れる人でよかったとづくづく安堵した。

 

いずれ、わたしも今、住んでいる家を引き払い、義実家に引っ越す予定だが、夫もわたしが怖いのか「いつ、引っ越して来る?」と聞かれることもなく、二週に一度、単身赴任から帰ってくる旦那さんといった生活を送っている。「おれはどこにいても木を切らないかん。」と実家にいても、帰って来ても庭木の剪定に明け暮れている。

 

誰だったか退職後の職場を親の施設にすればいい。と書いている作家がいた。たしかに偶然だったがこれはいい案だと思った。施設の費用ぐらいの仕事をしながら親を看ている感じだ。

(義母は自分の年金で支払ってます😆、昔の年金はいい!)

 

親は親で特にうれしくは思ってないようだが、(夫が目の前にいてもわたしに用件の電話をかけてきたりする。)心は安定していると信じたい。毎日家族と面会出来ているようなものだ。

 

施設の中には高齢でも元気な人もいる傍ら、胃ろうをしながら生きている人、麻痺で60歳ぐらいで入所しているエンジニア、関東に子どもが住んでいて面会もままならない人など、現実を目の当たりにして、夫は複雑なようだ。自分に置き換えているのかもしれない。明るくない方の人生をヒシヒシと突き付けられている感じなのか。

「施設の人生はあきらめの人生ばい。」と言っていた。個室とは言え、昼間はほぼ集団生活、料理や脳トレ、体操、お出かけなど工夫を凝らしたアクティビティはあるし、食事も自宅で宅配の弁当を食べるよりはよっぽどおいしい。実際、わたしも食べる機会があったが、親子丼と白和えの昼食はうちで食べるよりおいしかった。

 

いたれり尽くせりだけど、自分で判断して生きていた自宅暮らしとはまったく違うと言うのだ。施設のコンセプトは「自宅で暮らしているように生活する。」というものでとてもありがたいのだが、不便でも、寂しくても、食事が満足じゃなくても自分で暮らせる間は、ギリギリまで自分で暮らした方がいいと夫は言っていた。97歳の誕生日まで、行政のサービスなど、あの手この手を使って自宅で暮らした義母はある意味正解だったのかもしれない。夫はルールに従わざるを得ない、今の母の様子を見て、もしかしたら不憫に思っているのだろう。義母は多少の認知の症状があるものの、ここを最後の居場所としてあきらめているのかもしれない。パンフレットにうたってある楽しい施設ぐらしのキャッチフレーズは家族向けということなのだ。家族はその内容を聞いて罪悪感に蓋をしていく。

 

わがままを言っても自宅に帰ることは出来ない。夫の話を聞いて、まだまだ先だと思っていた現実がそう遠くはない現実なのだ。たぶんわたしたちの時代になると施設の内容も様変わりしているかもしれない。わたしは折り紙や脳トレなんかしたくない。その時は好きなyoutuberを追っかけ、運動もイケてる系、おしゃれをしてたまにはお出かけもしたいし、お酒も飲みたい。施設の仲間とも好奇心を満たしてくれる会話をしたい。そんな施設だったら入ってもいいとわがまま放題ぶちまけてたら、「多分、そうなっていくよ。」と夫が言っていた。これだけ多様化してきた世の中、折り紙や脳トレばかりじゃ反乱が起きそうだ。

 

夫が施設で働いてくれなきゃ、こんなことも考えなかった。本人もこの仕事に就いて、後ろ向きな未来が前向きに描けている気がする。覚悟を決めていくというか。

とりあえずわたしは感謝しつつ、パラダイス生活をもう少し続けさせて、と思っている。

 

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全く関係ないお気に入りのキャロットケーキ

 

 

 

 

 

 

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