ごきげんのツボ

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自分から荷造りを始めた義母。家を離れる日② No.245

施設に着いた。週2日デイサービスに来ている場所だ。両サイドが松林に囲まれた通い慣れた道を今日は行きだけになる。

 

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普段通りがいいと思い、『また、すぐいつでも好きな時に帰れますよ』と約束できないことは敢えて言わず、新しく取り変えたばかりなのにかかりにくい鍵をやっとの思いで閉めた。傍目にはデイサービスに行くのと何ら変わりのない風景、だけど意味合いは大きく違う。『悲しいやろな…』義母は悟っているし、やっとその気になってくれたけど車の中で口数は少なかった。美しい松林の中を通る時だけ、『ここの空気は日本一よ』としきりに言っていた。自分が今から行く場所のプラス材料を探しているかのようにも見えた。

 

施設に着いたら体操の時間で多くの利用者が参加していた。義母はわたしたちに挨拶する間もなく、すぐさま参加した。あしまりしんみりしたくなかったのか、最後まで自立というプライドを捨てていないようだった。

 

ショートステイで数週間過ごす部屋は薄いピンクに統一されたまだ新しい個室だ。ここでのはじめての夜をどんな気持ちで過ごすのか、考えただけでもつらくなって涙が出てきた。スタッフさんと打ち合わせた後、義母は行事に参加中だったのでそのまま声をかけずに帰った。

 

『おかあさん、ごめんね』

 

その後、別の施設の見学へ。あるご縁があって義母が安心出来る場所になりそうな気がした。窓からは一面に田んぼが見える。義母の好きなピアノもあった。

 

なんか気が抜けてしまった。 

 

主がいなくなった義実家はまだその様子に気づいていないような感じがした。わたしたちの気持ちが変わっただけで家の様子も寂しそうに見える。不思議だ。この家を荒らすことはしたくない、それが精一杯の今の気持ちだ。

 

今やご近所の相談相手のMさんにその旨を伝えると『それでよかったと思うよ。おかあさんもそのうち、慣れらすけん。庭はわたしがしとくよ、草取りぐらい気にせんでいい、わたしも安心したー』と言ってくれた。心配していたわたしの母にも伝えるとホッとした様子だった。

 

やることは今からたくさんあるけど、今日はここまで。

 

2022年3月14日、97才の誕生日の次の日、義母は70年以上過ごしたこの家を離れたのだ。

 

《今日の義母の一言》

この松原は日本一美しい、ここに来れてわたしはしあわせ。

ポジティブ過ぎて余計につらかった。「この家がいちばん落ち着く」と100万回ぐらい聞いた。出て行く時の心は計り知れない。荷物を詰め終わった後と車の中で何回か涙を拭っていたように見えたのは気のせいではなかったと思う。

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ちゃんと記念撮影したかったけどなんとなく出来なかった。

 

 

 

 


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