ごきげんのツボ

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義母、ホスピスからの生還⁈ No.357

義母のことは前回のブログからえらく時間が経ち、大腿骨骨折騒動から4ヶ月が過ぎた。

mays.hatenablog.jp

手術の直後は、持前の前向きで頑張ってくれて元気な姿で歩けることを願っていた。「やっぱりお義母さんはすごいよね!見習らわんといかん!」と誰もから言われて、少し自慢気な義母を見れると思っていたのだが。

 

1. リハビリを断られ・・

ただ、今回ばかりはトントン拍子にはいかなかった。医者からもすぐ立てるよと言われていたが、悲しいことに少しずつだが進行している子宮頸癌(高齢のため無治療)の出血により、ふらつきがあり、危ないのでリハビリは不可能と言われた。貧血の症状がひどく、運動どころではなくなったのだ。リハビリの先生たちも気が気ではなかっただろう。

 

癌が併発したとなるとリハビリ病棟にいることは出来ず、「もう緩和ケア病棟しかありません。」と言われた。いわゆるホスピスだ。『えっ?なんで?』と聞くと、「歩けんし、リハビリも出来んし、癌の治療が出きんし、そんな状態では普通の病棟にも施設にも帰れんらしい。」とオットが言った。

 

静かに横になって弱っていくのを待っているしかないのか・・とホスピスという言葉の響きに悲しくなった。癌はそんなに進行してるのかな。

 

死の方向へ向かう病棟というイメージしかないホスピス

 

後ろ向きな言葉は吐いたことがなかった義母だし、なにか光が見えたらそこに向かって突き進む人だった。それがいくら緩和ケアといっても、まだまだ考える力がある義母がそのベッドに虚ろに寝ているのが不憫だった。

面会はホスピスなのでほかの病棟よりは緩かったがまだ時間制限されており、家族だけ15分限り会えるのみだった。

幸い義母はそこがホスピスだということは気づいていなかった。個室のきれいな部屋で、「とてもよくしてもらっててるのよ。」と喜んでいた。ただ「マッサージはしてくれるけど、リハビリは全然してくれないけど、どうしてかしら?」と不思議がっていた。

『体調が落ち着いてら始まりますよ』とごまかすしかなかった。

 

2.  寝たきりは認知が進む

年老いて骨折したら何が怖いって認知が進むのが怖いとよく聞く。ほんとにそうなのかも知れない。義母の認知は老人のもの忘れと思い込み程度で、認知の症状だと思うことはあまりなかった。それがホスピスの入ったら、会うたびに虚ろな表情を見せるようになっていた。

窓から遠くにみえる電車やそれを待つ乗客、お風呂に入れてもらう話など会話の内容がベッドから見えるものだけに限られてくる。このご時世、病院内では交流も出来ないだろうからボケないでって言う方が難しいかも知れない。

 

そう言えば最近はTVも見なくなった。

 

ジッと天井を見つめる生活が数か月続いた。歩くことはまったく出来ないはずだった。リハビリもしていないんだから。

 

3. はい??退院???

12月のある日、「退院してもいいって先生が言いよる。」とオットが電話口で言った。

『は??え?なんて?』「癌の症状も落ち着いてるし、出血も止まって歩行器があれば歩けるらしい。筋肉は落ちてしまっとるけど・・いつ退院してもいいって。」

正月から体調すぐれず、わたしが面会に行けなかった間、なんと歩行器を使ったり、介助をしてもらいながら歩けるようになったらしい。

ホスピスから生還する人もいるんだ。高齢者の癌は進行が遅く、今回も幸い症状はおさまった。

そして立てた。歩いてる。

リハビリも無しで。 信じられん!

筋肉が落ちて痩せてしまった姿はとても元気そうには見えなかったが、気持ちが正常だった、いや、97年間、頑張ってきたあきらめない体と思考の癖がそうさせたんだと思った。

もう立つことなく、あのベッドの上で弱り続けていくんだと、どんよりした気分になっていたので、退院と聞いた時のわたしは漫画の一コマのように唖然としてたと思う。

 

4.死ぬその瞬間まで自分らしく

退院1ヶ月が過ぎ、電話の回数が段々増えて来た。これが元気のバロメーター。「タンスにかかっているズボンを持ってきて」「服がない!」「梅干しが食べたい」とどんどん指示が飛んできた。それでこそお義母さん!嫁の立場としては「もームリーー」な時もあったけどここまで来たら尊敬しかない。

 

今はローラーがついた歩行器を使ってではあるがスーッと嘘みたいなスピードで歩けるようになった。車輪がついてるので早く動けることを、楽しんでいるように見えた。施設に戻って気持ちも明るくなってきたようだ。やっぱり日々の生活って大事だな。

 

よく人は70歳まで生きたら充分とか、80歳まででいいとか言うけど、義母は「もうこの世に未練はないと思っても死ねないのよ。」とよく言っている。確かにそこからが勝負だと言ってもいいくらい人間は簡単には死ねないのだ。

 

思うように動けなくなった時の人生、それって精神的自立しかない気がする。人の言うままだったら弱ってしまうだろう。

 

周りに心配かけてでも96歳まで一人暮らしをした義母は正解だったと思う。大好きなあの家で生き抜き、今の施設での生活はおまけのような感じなのかな。

 

自宅で培った自分でどうにかする、という気力が体に宿っているからなんだ、きっと。口癖の「死ぬその瞬間まで自分らしく」をまた今回も見せてくれた。

 

今の心配は歩行器でスイスイ歩いてるのはいいけど、見た限り自信過剰気味。そこは抑えて、お願いだからもう転ばないで欲しい。

 

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この歩行器さえあれば大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

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