ごきげんのツボ

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何歳になっても試練はやってくる No.340

夜中の11時過ぎ、義実家で寝る準備をしていたらオットの携帯が鳴った。遅い時間の電話は悪い予感しかしない。義母がこの4月から入った施設からだった。転んで腰を打って酷く痛がっている、救急車を呼ぶから来てくれと言われ、着の身着のまま、車で7、8分の施設へ向かった。

 

行くと救急隊の呼びかけに義母は「あー、痛い、痛い」と悲鳴を上げていた。『骨折してしまってる・・』素人目にもそう映った。トイレに行くときに転んで腰を打ったそうだ。いつもは杖かカートを持って行くのだが「調子がよかったから杖無しで歩く練習をしてたのよ」消えそうな声で言っていた。

 

どの病院に運ぼうかと救急隊が受け入れ先を探していたら「○○病院だけはいや、やめて、やめて」とうめきながら訴えていた。何年か前、軽い怪我で入院した時の対応が不満でトラウマになっているらしい。わたしが「△△病院にお願いできますか?カルテもあります。」と義母が一番好きな大病院を伝えると無事そこに運んでもらうことができた。この状況下でも自分の思いを伝える気力には驚くばかりだ。

 

△△病院に到着し、それから1時間以上検査にかかった。やっと診察室によばれて椅子に座るか座らないうちに、20代に見える化粧っ気のない女性医師は「大腿骨骨折ですね、手術します。」と早口で淡々と言った。骨が動いているように見えるデジタルのレントゲンの画像を指しながら、続けて早口で詳しく説明をした。「何か質問は?」有無を言わせない口調だったが、オットもわたしもその医者が冷たいとはまったく感じなかった。言っていることがとても端的でわかりやすかったからだ。ただ、97歳で手術できるのかという心配が残ったがその先生の口調からはそんな心配はまったく感じられなかった。

 

2年前ぐらい、子宮頚癌の症状が出た時は、進行も遅いし、何より高齢なので手術には耐えられないと言われ断念したが、骨の手術となるとまた、意味合いが違うのかもしれない。97歳で手術にリハビリ、聞いている方が気が遠くなりそうだった。義母にがんばる気力が残ってきるのかさすがに不安になってきた。

 

次の日、義母から興奮した高い声で電話があった。「わたしはもう歩けないと思う」自分の足の状態をみて自分なりに診断しているのだろう。『そんなことないですよ、先生もリハビリすれば大丈夫と言われてましたよ』と少し良い方に割り増して言ってみると「うん、そうね」と言いながらも本気にしていない様子だった。昔から自分の体を観察するのが得意なので、そう簡単には治らないと今回ばかりは感じているのかもしれなかった。「わたしの体はわたしが一番知っている」昔から自己診断に自信を持っていた。

 

その日は何度か電話が続いた。「もうトイレにひとりでは行けなくなるから施設の人には迷惑かけられない。あなたたちが私を引き取りなさい」とか「家の離れのトイレを改装して車椅子が入れるようにしよう、そこで隠居する」とか「電動車椅子を買って散歩する」とか立てなくなること前提で早口で車椅子対策のアイデアを披露した。

今までは自立で何でもできたから、立てなくなるという恐怖が襲ってきたのだ。

 

今年の3月、義母が施設に入る決め手となったのがトイレだった。高熱が出て一度だけふらついてトイレまでたどりつけなかった。かなりのショックだったらしく、その一度限りの粗相で施設に入ると決めたのだ。その後は施設でも問題なく歩いていたらしいが、今度は顔なじみになったスタッフの方たちに迷惑をかけるかもという羞恥心のようなものを感じたのに違いない。恥ずかしい思いをして介助してもらうならわたしたちの方がまだマシと思ったのだろう。

手術前に歩けなくなった時のことを思い巡らし、自分なりに段取りをつけたかったようだ。歩けることにプライドを持っていた義母は車椅子になるかもという現実に直面し、軽くパニックになっていた。97歳の自分の体にメスを入れる恐怖も感じていたのかもしれない。

 

土日を挟んで次の週の火曜日に手術は無事に終わり、付き添ったオットから愛知県に住む義姉とのグループラインにビデオが送ってきた。親子仲がいいわけでもないが、オットは義母の手を握っていた。義母は麻酔から覚め、無事に手術が終わったことを知り、「ありがとう、ありがとう」と涙を流しながら言っていた。ドキュメンタリー番組のように感動的なシーンにわたしも涙した。

 

手術の次の日も電話が鳴った。今度はびっくりするような元気な声で昔話をしていた。そして車椅子になるかもしれない心配はどこかに消えたようだった。歩ける保証はどこにもない、ただ手術が無事に終わって、痛みも落ち着き、気持ちが前向きになったようだ。施設にいる時より声に張りがあった。

施設の生活は穏やかで何の負担も心配もないが刺激という面では足りないかも知れない。こうやって何か乗り越えなければならない壁が出来た時、かつ何か小さくても光が見えた時、この人は元気が出てくるのではないのか?手術前の狼狽ぶりとはえらいちがいだ。多少の物忘れや思い込みはたまにあるが、自分で自立を考えるという行為は止むことはない。

 

生きてる限り試練はやってくる。そんな自分を放って置くことは出来ず、空回りでも進むしかない。

 

今回のことでどこまで義母が頑張れるのか、わたしは無事に立てるほうに賭けたいと思う。

 

 

 


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