ここ数年、オットの実家通いが続いている。96歳の義母の身の回りの世話とひとり暮らしの家の管理のためだ。
介護認定は要支援2
週2回のデイサービス、1日2食の配食サービス、週2回のヘルパーの派遣(惣菜の作り置き、買い物、掃除など)のサービスを受けている。
お世辞でもなく、とてもありがたくて感謝しかない。介護保険を払っているとはいえ、行政の力がなかったら、施設には絶対に入らないと言い放つ義母をおいて、わたしたちの遠距離での生活は成り立たない。行政のなしではこの生活は維持できないのだ。
最近、義母はだんだん弱ってきていてるけど、生活はぎりぎり自立という判定、要支援2は多少の認知が入ってきたからだ。認知といってもいつも頭が回りすぎる義母だったので、わたしと話すのにはちょうどいいぐらいのテンポになってきて、やっと対等に話せるくらいの関係になってきた。
失礼ながら今の彼女の方がかわいくて好きだ。ほぼまともに会話が続いている時も(主に自分の全盛期の話)、途中ポツポツと『へっ?』と言うことを言い出す。しゅっちゅう鍵がなくなる、財布がなくなることがあるとか…
「泥棒が入ったけど、気にしないの…どこから入るのかしらー?」→注)何故かいつも何時も標準語で話す。
『おかあさん、泥棒は入ってないでしょ』という言葉をごくりと飲み込む。一度否定したら「わたしはそこまでボケてないよ!」と言われた。
そんなチグハグな会話にも慣れてきた。普通の顔で言われたら、最初はホンモノの泥棒かと思ってしまうほどだった。これは認知の初期症状らしく、誰にでも起こり得ること。何回も言うけど96歳だから仕方がないことだ。オットは96歳でもイラつくそうだ。親子の方が難しいものなのかな。
わたしが認知になったらしつこくて面倒くさいやろなーと自分に置き換えることも多くなった。
今日はデイサービスの日だ。彼女のいない間に、片付けをする予定。想像を絶する家財の量なのだ。整理整頓されていたので、あまり気にならなかったが、正気に戻っていざ、見てみると、今から片付けても一生間に合わないんじゃないかと思ってしまう。義母はThe 捨てない星人!だったのだ。
今日もボチボチ彼女の居ない間に目立たない場所から片付ける予定だ。
こないだは大量の段ボールを捨てたら怒られた。
もう二度と使わない倉庫のタンスを捨てようとしたら怒られた。
紙袋類も捨てたら怒られた。
勘がいいので何故か気づかれてしまう。
「それは使うの!、捨てたらダメよ!」
『な、な、何故ですか⁈、もう絶対使わんでしょ!』 これもグッと飲み込む。
この言葉は認知のせいではないのだ。まったくの正気、今までそれをきちんと利用して生きてきたので、それらをまだ使って生活するつもりらしい。収納能力がすごいというか、とにかくあらゆるとこにあらゆるものがギチギチに収納されている。断捨離ブームの前に流行った収納術の先生といった感じだ。
かと言って、もう彼女の体力では使うことは出来ないし、使う用途もないということなので、心が痛むが気づかれないように片付けさせてもらいたい。
わたしたちの体力も持つかどうかというところ。その尋常じゃない荷物を見ると毎回、夫婦で途方にくれてしまう。同じような境遇の友人に聞くと『軽く3年はかかるよ』と言っていた。
泣いていいですか!
『おかあさん、ごめんね、片付けさせてくださいね』と心でつぶやきながら、鬼嫁と言われようが今日も裏の納戸から片付ける。
彼女が生きている時間に片付けるのは不謹慎かもしれない。でもこれは息子に家のあらゆる決め事の実権を渡さなかった故のことだ。オットもいつからか彼女と色んなことを話し合うことをあきらめてしまった。
家へのこだわり…わたしには理解できないところだ。
さぁ、重い腰を上げよう。
今日も一日笑ってがんばろ。
ごはんはおいしいとこ食べ行こう。
猫も通う
《義母の今日の一言》
しあわせは自分でアンテナを張って見つけるものよ。
→えっ? 感度が高い…(;゚ェ゚;)