ごきげんのツボ

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同級生のお母さんの記憶力 No.355

義母が入所している施設へ面会へ行った。今、下書き中でまとまらないブログに骨折から退院したいきさつは入力中だが、とにかく義母は又、元気を取り戻した。

 

面会は玄関先でしか出来ない。下駄箱の前でうちの母と3人で話していると、玄関の向こうからずっとわたしの顔を見ている人がいた。施設の入所者の人だ。年は80代後半? 何回見直しても、目が合う。そして大袈裟に(そう見えた)額に手を当てたポーズで、すごく何かを考えている風だった。わたしを誰かと勘違いしているんだと思いながらも気になってチラチラ見ていた。

 

その人はいきなり「◯◯さん?」とわたしの旧姓を呼んだ。

『え?、え?……はい』

「えーーっと、お名前はえーと、えーと、◯◯子さん?、◯◯◯◯◯よね?』とフルネームを唱えながら近づいてきた。

 

『す、すみません、どちらさまでしたか?』

 

だって、まったく記憶がない。

 

「わたし◉◉◉◉の母です」

 

『えーーー!』

 

確かに◉◉ちゃんは小学校の同級生だった。中学も一緒だ。ただそんなにたくさん遊んだ記憶は無く、小学校は5クラス、中学校は8クラスもあって、同じクラスになった記憶さえ、あやふやだ。

 

家も近所でもない。

 

名前を思い出したものの、◉◉ちゃんのお母さんとなるとこれっぽっちも記憶がなく、ポカンとしてしまい、ほんとに申し訳なかった。

 

ものすごく記憶力のいい人なんだろう。ほんとにビックリした。オットに『わたし小学生の時から変わってないらしいよ』と自慢気に言ってはみたものの、もちろんそんなことではなく、小学生の時の顔と変わり果てた60歳の顔の中にも何か一点ぐらい、◉◉ちゃんのお母さんにピンポイント的に一致することがあったということなんだろう。

 

それにしても多分、会ったのはすれ違い程度だと思う。しかも50年ぐらい前の話。

 

脳ってすごいなー、ほんとすごい。名前が出る?

 

それかわたしの記憶が薄れてて、その子と大の仲良しだったとか?

自分の記憶が一番信じられないけど、多分そんなことはない。

 

◉◉ちゃんは感じのいい目の大きな美人さんだったけど遊ぶグループが違っていたし、家に遊びに行ったことはないと思う。いや、一度ぐらいあったのかな。

 

◉◉ちゃんのお母さんはいきなり「お子さんは?」と聞いてきた。『うちは居ないんですよー』と言うとひどく悲しそうな顔をされた。当の本人はたいして気にせず生きているので、ちょっと田舎の感覚に連れ戻された気がした。そしてお母さんは続けた。「うちは◉◉には居るけど、家の後継は出来なかったのよ」とこれまた悲しそうな顔で呟いた。息子さんには子どもが出来なかったことが悲しくて仕方ない様子だった。

 

お嫁さん大変だっただろうな。間違いない。

 

うちの姑は厳しいけど、その件に関しては割り切っている感じでたいした嫌味を言われることもなかった。

 

短い時間だったけど、勝手に人生模様の妄想を色々巡らした。

 

それにしても◉◉ちゃんのお母さんの記憶に何かしら残っていたということは、ちょっと嬉しかった。どんな記憶で残ってたかわからないけど。

 

その時代はお母さんたちとよその子どもたちの距離が近かったのかもしれない。良くも悪くもそういう世の中だったのかもしれない。

 

そんな気がしてきた。

 

 

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