96歳義母が施設に入ると言ったのは昨日
やはりそうだった。一晩寝たら気が変わってしまっていた。朝8時の電話で「やっぱりわたしは施設には行かないことにしたからね、お隣のMさんに朝晩寄ってもらうように契約したから」と弾んだ声で言った。朝っぱらからそんなことをお隣さんと電話で話したらしい。Mさんは70代のとても気の利く優しい方だ。近所の90歳オーバーのお年寄りや義母のことをいつも心配してくれている。あわてて電話したら「よかよか、わたしも心配やけん、仕事と思って一日何回か声だけかけるよ、気にせんでよかよ」と快く言ってくれた。感謝しかない。手を合わせなかればならない人がまた増えた。
義母のふんばりはたいしたものだ。今までも有言実行をまさに行動で示してきた人だ。諦めが悪いというか、どうにか施設に入らない方法を探している。近所の人と助け合う、これが本来の姿かもしれない。わたしが住んでいる町は都会ではないがご近所とのつきあいは浅い。義母とMさんのような関係はなかなかない。
どちらがいいかわからないが、義母のこの家にこだわって生き抜きたいという思いがまた勝ったということだ。ケアマネに伝えたら「Mさんに甘えて様子を見ましょう」とあきらめ気味だった。
今度こそはと思ったがまた、空振りに終わった。つかれた…
話は逸れるがわたしがあったら絶対にいいと思うもの。遠距離にいる家族との会話できるビデオ電話。スマホの操作は96歳では無理だ。ワンタッチで双方の会話が出来るものを結構探したけど、義母が扱えるようなものはなかった。監視カメラ、見守りカメラで一方的に見える用途ばかりで、ひとりでいる老人サイドのものが見当たらなかった。
会話は出来ても義母にわたしたちの顔が見えないと意味がない。
顔がお互い見えて話せたら距離は感じないと思うんだけど。
そんな義母はあさって、97歳になる。
《今日の義母の一言》
死ぬ瞬間まで自分らしく
すばらしいです…
明日はお掃除のヘルパーさんが見える日
感謝。
Mさんの庭のしだれ梅。窓から見える美しい花木が義母を癒やしてくれている。