ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

大切なこと教えてくれた先生の生き方 No.254

 

昨年末にとてもお世話になった広告代理店の社長が亡くなった。そしてまだ涙も乾かぬうちにまた大切な人が亡くなった。まちこ先生。75歳。

 

以前企画した自然療法の講座の先生だ。こんな先生は後にも先にも見たことがない。豪快かつユニーク、そして人のために身を粉にして、生きている人だった。当時ある病に罹り、もがき苦しんでいたわたしを救ってくれた生命の恩人と言ってもいいくらいの方だ。身体について自分の知識を余すことなく教えてくれた。

「あんたを助けるために出逢うたったい」

その言葉を聞いて涙が止まらなかった。

 

先生といたらどんな元気のない人も笑顔になれる、そんな太陽のような人だった。先生を講師として見つけた時は宝くじを当てたような心境で一生ついていこうと思ったものだ。絶望していた時に光を見た気がした。おかげさまで西洋医学と自然療法の養生のおかげだと思う、なんなく今まで生きてこれた。

 

6回コースの講座だけでは学び足りず、忙しい先生を捕まえて自然療法サークルを作って2ヶ月に一回ほど先生の山に押しかけた。野草でお茶を作ったり、タケノコ掘りをしたり、クレソンを摘みに行ったりキャンプ場を借りて野草料理を作ったり、漢方の勉強をしたりといつも中身が凝縮された濃い講座を開いてくれていた。

利益優先ではなく、暖かく接してくれる先生が大好きだった。生意気ながらちょっと若すぎる母のように慕ってしまっていた。

 

それなのに先生は癌が再発し、75歳の若さで亡くなってしまった。あれだけ身体のことを知り尽くした先生だったのに。

西洋医学も否定せず、自然療法は養生のために全力で使いなさいと教えてくれたバランスの取れた先生だった。

 

寿命は寿命、病気には色んな要素があるので、先生を持っても勝てなかったと言うことだろう。手術の数年後、再発がわかってからは積極的な治療はしなかったらしい。弱った状態で受ける治療では治る見込みはないと判断されたんだろう。

 

お通夜の席ではみんなは泣いていたけどわたしはあまり涙が流れなかった。病気のことは知っていたし、亡くなっても先生は遠くにいる気がしないからだ。

 

濃い人生を全力で駆け抜けたかっこいい先生、たくさんの人を心身共に救ってこの世に未練は無さそうだ。わたしも先生の笑顔と声をいつでも思い出せるから寂しくない。

 

7年ほど前、偶然拾った縁がわたしの中でこんなにを大きくなるとは思いもしなかった。

 

痛みをも楽しみ、最後まで笑って自宅で死んでいった先生のように強く生きたいと思った。

息子さんの挨拶で「親は死に様を子に見せないかん」と言われていたそうだ。その力強く生きた最後を胸に刻むと締め括られた。

 

12月と3月、わたしの中でのツートップが続けて亡くなった。まだまだ若い、62才と75才。

勝手な想像をするならば「そろそろしっかりしなさいよ」と言ってくれてるのかも知れない。

 

先生くれた言葉は数知れずあるけど

「ここがいい人とつきあいなさい」

と言ってポンポンと自分の胸を叩いて見せた仕草が忘れられない。

 

 

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