ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

個性を出しすぎない美学 No.109

 

この言葉はとある有名な狂言師の方の言葉の一部だけど、いいな〜と思って書き留めておいた。個性を出しすぎると大事に継承されていくべきものカタチが変わっていくとの意味らしい。

 

話はちょっと違うけどこの言葉で思い浮かんだのはわたしの母だ。常に自分は二の次の人だったなーと思う。(あっ、生きてます)

なかなかの個性の塊(いい意味で)の姑とは、親しい間柄になってしまった。95歳の姑に最後まで寄り添っているのは嫁ではなく、親戚でもなく、子どもたちでもなく、わたしの母だ。これはかなりレアなケースだと思うけど、実際一番、姑の気持ちを考えて、お世話しているので頭が下がる。今は母も高齢者なので長電話と作った惣菜届ける程度だが常にわたし以上に義母のことを気にしている。誰かが気にかけてくれている、これが高齢者にとっては一番嬉しいことなのかもしれない。

結婚した当初から『お義母さんを大事にしなさい』って帰るたびに言われていた。姑からはほとんど褒められたためしはないが『あなたのお母さんはほんとに人生で何が大事かがわかっている。わたしが出会った中で一番の信頼出来る人』と言っていた。たしかに母を嫌いという人はあまり居ないかも知れない。自分のことはほとんど話さず、人の話ばかり聞いている。苦労も多い人生だったと思うが顔に出していた記憶がない。

それは謙虚とも違う気がする。母の人生は大きなことは出来なかったかもしれないが、そっと相手が望むことに徹するとことこそが落ち着く場所だったのかもしれない。生まれ持った素質かな。といってもわたしにとっては至って普通の感じで、気負いない空気みたいな存在だった。

 

晴れてきた。今年最後のブログは帰省の車の中で打っている(揺れるなー)

 

先日、母の味を継承出来てるかの食のアンケートがあったがとても出来ているとは言い難い。昔から台所にいる時間が一番長い母。コトコトと丁寧に作られた料理はほんとにどれもおいしい。料理に対しても人に対しても誠実な人だなと思う。もしかしたら台所で色んなもやもやする気持ちを和らげていたのかもしれない。このお正月休みはお節のレシピを真面目に習うとするかな。ほんと適当すぎる娘を持って本心は「なんだかなぁー」と思っているかも。

 

今は自分を主張する時代。それも大事だと思うけど、個性を出し過ぎない母と一緒にいるのはとても居心地がいい。勝手かな。

 

もうすぐ唐津だ。

 

連想ゲームみたいな一筆書き的わたしのブログ。来年はもう少しちゃんと書けますように。

 

 

2020年終わり!

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