ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

2016年のボイスメモにあったもの「対話」① No.251

先日から取り組んでいる必要ないメルマガ配信停止に引き続き、スマホのアプリを消していく作戦も実行することにした。好奇心旺盛が手伝ってアプリが増えに増えてしまった。3,4個消したところでボイスメモを開いてみた。ここを開くのは超ひさしぶりだ。

 

そこには今、聴いても大事な録音がいくつか残っていた。ひとつは福岡県福津市の山口覚さんの「まちの学校」に参加した時の言葉だった。この方は「対話」という言葉を世に広げた人だ。福津市津屋崎町を中心に内からのまちづくりを実践し続ける人だ。(有名人だった!!)

無知だったわたしはこの時は何も知らされずに飛び込んであまりの場違いに3日間面食らった記憶しかないが、たしかにこのようなことを話されていた。懐かしい。人と人が対話をする時に大事なこと、2016年の録音、ワールドカフェに入る前の導入の言葉だ。

・対話とディベートは違う。ディベートというのは自分が絶対正しいということを前提に話す。

・人の話を聞いている時に自分は次に何を話そうかで頭がパンパンになっていないか。

・教育のプログラムに対話の内容が入っていない。子どもたちは話し合いというとディベートだと思っている。(現在でもまだ変わらないのかな)

・そもそも何が正しいかわからない。自分が常識と思っているものは本当に正しいのか?

・わたしたちは断片しか知らないのに知ってる、知ってるって言っていないか?

・その人は何を話そうとしているのか?耳を傾けているか?

・沈黙を歓迎する。

人と話してるうちに自分が考えていたものと違うものにあった瞬間に、沈黙が訪れるがそれは貴重な時間、その後に出てくる言葉こそ重要だし、価値がある。

などわずかな時間だったが『対話』にとって大事なことが優しい口調で散りばめられていた。

 

あれから6年が経った。これらのことは常識だと言葉では思うようになったが、改めて聴いてみると「出来ているのか、わたし?」と振り返るきっかけになった。

 

人の話を心から聴く。話し合いはそこから始まる。この時、山口さんはファシリテーターで答えを導くようなことは何も話されなかった記憶がある。対話という概念があまりなかったわたしは司会者なのにしゃべらないんだーと思っていた。(ファシリテーターは司会とは異なる。)

 

6年でわたしは成長したのかな・・・沈黙が続くと取り繕おうとしてないか(あるある)、人の話に自分の話をかぶせていないか?(あるある)、絶対!これが当たり前!とか、知らないのに知ってるつもりになってないか(あるある) 

 

わたしの成長は疑問だが、世間では対話という概念は広まった気がする。職場でも対話という言葉は耳にするようになった。

 

ボイスメモは古いからと言って消していいものばかりではなかった。時々聴き返そう。

 

おかげで今日はオットに対話を心掛け、今のところ優しく出来ている。

 

 

 

 

 

 

 

 


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