ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

会議は修行の場 ① No.207

会議、集会、話し合い・・それが好きな人がいるだろうか? 

 

いる!

 

最近はそれを喜んで仕事に生かしている人種もいることを知っているし、わたしも会議、打合せ、集会、そこにいる人こそ財産と思うようになりつつある真面目な話。

 

うちの職場はとにかく会議が多い。わたしが6年前に入った時、あまりの会議の多さ、その会議の不毛さにここで働けるだろうか??と不安でいっぱいだった。「お茶とお菓子が無い!」と怒り出す女性、延々と対職員への不満を正義感をぎらつかせ問いただす人、同じ話を蒸し返す人、一部の人だけなのだが、やる気を持ってこの会に参加した人たちも無言で、会議後はぐったりとした顔をして帰って行く、そんな表情を見るのも嫌だった。

 

ボランティアの方々を対象とした会議が多いので、どうしても職員がお膳立てする形になるが、まぁ好きなこと言いたい放題で、そもそものこの会議の意味をわかっているのか疑問だった。

 

「みんな、そう思っていますよ、みんな不満です、なんたら、かんたら、みんな、みんな・・」とにかく一部のボランティアVS職員のような構図が出来上がっていた。

会議の日は憂鬱になってたし、仕事する時間を奪っていく無意味な敵だと思っていた。何かを作り上げていく会議なのにどうして喧嘩腰になるのか、つくづく疑問だった。

 

ある団体の事務局側の方の記事で、ボランティアと事務局の間には不穏な空気が流れやすいと書いてあった。一方は仕事でお金をもらっている立場なので、相手がそこを踏まえて言及してくるからだ。その中間のクッション材のような立場の人がいたら上手くいく場合もあると書いてあった。確かにそれは一理あるかも。

 

その頃、個人的に何回かファシリテーションを学ぶ機会があり、意見を聞く、みんなで意見を出し合う、認め合う、対話を重ねた上で成果を上げていく、その心地よさに都度、感動したものだが、とてもうちでできるとは思えなかったし、あの雰囲気を打破できる勇気も自信もなかった。うまくいかない会議の原因は大方わかっているのだが心の中では「いい人ばかりでやりたい」と思っていて、原因は自分自身にもあるとは思ってもいなかった。もちろん事務局だけが原因のはずもないけど、わたしたちの態度もあまり好ましいものではなかったかもしれない。改善策はきっとあるはずと思って、いろいろ学びたいと思っているところだ。

 

このままでは時間の無駄、声の大きな人だけの意見がまかり通る会議ではだめだ。もしこれだけの人数が組織で動けばすごい力になるのは明らかで、逆に反対意見は、もちろんあって当然だが、邪魔したい、マウント取りたい、見栄などのいやらしい感情が入るとチームの力は半減する。

 

ファシリテーターのようなことは苦手だけどサポーターとして会議をうまく支えるテクニックは学べば身につくと思い、少しづつ小出しにしながら実験中。昔は社会でもトップダウンの会議が主流だったが、今は会議のコツさえつかめば、みんなが疲労しない会議が実現するはず。

 

逆にみんなニコニコ、ハイ賛成!の人ばかりだとそれも気持ち悪い。そこに居る人数分の正義があると思って健全な会議にミリ単位でいいので近づきたい。

 

あるファシリテーターの言葉、「会議はひとりでもできるよ、僕はA3の用紙でいつもひとり会議の練習してました。」と言っていた。その時は物好きだなと思ったけど、今ではその気持ちがわかる。

 

しつこい性格を活かして、ひとり会議を趣味にしてみるかな。

ファシリテーションは職場だけでなく、家族や、地域でもかならず役に立つスキル。

 

 

そして今、習いたいのはグラフィックレコーディング。学び欲は続く・・・

 

長くなるのでどんなことをやっているかは次に書くことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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