ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

それを言うのはわたし?義母の施設騒動  No.240

最近少々の認知が入り、精神が不安定になることがある96歳の義母。ひとり暮らししている理由は長年暮らした自宅を離れるのが嫌で施設に入ることを拒み続けていたからだ。これまではまわりがいくら説得して入るとは言わず、ギリギリ自立出来ているのでこのまま様子見ようという感じだった。

 

義母の現状

義母は96歳、この3月で97歳を迎える。介護認定は要支援2、週2のディサービスと週2回のヘルパーと毎日の配食サービスで成り立っている。行政レベルでは十分手厚いと言っていいと思うし、スタッフの方は家族のわたしたちにも笑顔で接してくれて、毎回心の中で手を合わせたくなるほどよくしてくれる。ただ高齢過ぎて何が起こるかわからないというので、周りの人が心配している。正直、施設に入ってほしい。だがそれは義母の想いに反している。置き去りにしている感じが常にわたしたちに纏わりついている。

 

義母が嫁いでからの生活

長男だった義父以下、7人の義妹弟をこの家で世話をしていた。もちろん両親、自分の子どももいたので13人の面倒を見ながら、切り盛りしていたそうだ。

外に働きに出ることは出来るはずもなく、ある日、敷地内でピアノ教室の運営に乗り出した。先生を4、5人雇い、約100名ほどの子どもたちが通ってきていたそうだ。わたしが嫁いだ頃は小規模にはなっていたけど、まだまだにぎやかな時代だった。

機転が利いて、やり手であったことにはまちがいない。ただ家を空けることは出来なかった。この家と教室以外に義母の居場所はなかったのかもしれない。

オットは毎日忙しくしている母親を快くは思っていなかったようだ。生徒や先生、叔父叔母たちの世話に忙しいばかりで、いい加減大人なのに寂しかったともらした時もあった。

義母は九州から出たことないはずなのに(20代前半だけは満州にいた)なぜか標準語で話す。静かだけれど淡々とした口調はいつも命令されている気がして、わたし自身も義母とは心を割って話す気になれなかった。「あなたとわたしは同じ立場よ」とはいつも言っていた。自分のやってきたことを全部わたしに伝えたいようだった。分かちあえる仲間が欲しかったのかもしれない。

 

義母の施設をどうするのか問題

最近はなるべく週末をはさんで帰るようにしているが、日に日に心も体も弱る一方だ。健康な人が寿命を全うするってこんな感じかもしれない。なんとなく食欲がない日が続く。食べられる米つぶが何粒かずつ減っていき、昨日まで歩けていたのに急に少しふらついたりする。テレビのボリュームが少しずつ上がっていく・・・並べればキリがないが、目に見えないスピードで老いは日に日に深さを増しているのだ。

 

1年ちょっと前も施設に入ると言ってすべて手続きまで終わっていたが突然、「どーしてもいや、やっぱり家がいい」と言ってドタキャンしてしまった。一晩じっくり考えた結果らしい。お金のことも心配していた。年金で十分足りる額なのだが、ひとりでも生活できるのにもったいないというのだ。キャンセルした施設はオットの女性の同級生が営む施設でとても新しく、見学に行った時はみんな楽しそうに過ごしている様子だったので安心していたが、意外に人見知りなのか、自分の家で過ごしたい言ってその契約を跳ねのけてしまった。その前例があるので施設に入ると言い出してもわたしたちは慎重だった。

 

今日の朝方、電話があって「もう、わたしはひとりで暮らすのは無理みたい、施設に入るから準備をしてちょうだい。」と言ってきた。96歳の心は揺らぎやすい、急に不安になったんだろう。しかも施設まで指定してきた。そこはわたしたちも予想外の場所だった。多分ディサービスの誰かから聞いてきたんだろう。手配と準備が早いのは昔からだ。何でも自分で決めてしまう。

『おかあさん、ただそう簡単にはいかないんですよ、今回は』

 

オットもわたしも今回もまったく信用していなかった。またどうせ「やっぱり、家に居る」と言い出すに決まっている。ケアマネジャーも同様だ。「みんなで見守る体制を作って行きましょう」と義母の家にこだわる気持ちを理解してくれている。オットも「ここで倒れるなら本望やろ!」キレ気味だ。まるで舞台役者のように人生をこの家で全うしようとしている。いや、この古家は義母にとって舞台そのものなのかもしれない。

 

今日、2回目の電話がなった。わたしに突然、思いもよらぬ急スイッチが入って、『おかあさん、本当にすみませんが施設に入ってください、お願いです、わたしたちも心配で眠れません』とまだ言うつもりもなかったのに堰を切ったかのように、言い切ってしまった。オットはギョっとした顔をしていた。義母はわたしの気迫に押されたのか「そうよ、わたしそうすることに決めたのよ」と明るい声で答えてくれた。

『すみません、わたしたちが一緒に住めたらいいんですが・・』

「あなたたちが帰ってきても、若い人と一緒に暮らすのはきつい」と言った。もしかしたらそう言ったのはわたしたちに気を使ってのことかもしれない。

 

いくら親子の仲が微妙といっても、親は親、息子が親を施設に入れると宣告する、それは想像以上に辛いことかもしれない。義母がすんなり入ると言ったことでホッとした顔をしていた。

 

わたしたちは義母が今までしっかりと過ごしてくれたので、介護という介護はしたことがない。それでも毎日のように何かが起こるし判断の連続だ。

これからまたひと騒動あるだろうけど、とにかくバタバタしながらもより良い決断していくしかない。

 

義母はきっと人には「嫁が施設に入れと言ったから従いますよ・・」って言うだろう。

人聞き悪ーい!

それでもいい。いつも悪気はこれっぽっちもない人なんだ。ただストレート過ぎるだけだ。

義母に一番合うところを探そう。「ここに来て良かったよ」というような場所にしないと、鬼嫁のままで終わってしまう。どうか明日になって気が変わってませんように。

 

言った後の私自身もなかなか辛く、少しだけ涙が出た。

 

 

 

《今日の義母の一言》

色んなことが段々わからなくなってきた、というのがわかるの・・・      

 

《今日の朝ごはん》

f:id:tentecoworks:20220310194957j:image     

 

mays.hatenablog.jp

 


50歳代ランキング

 

https://blog.with2.net/link/?id=2082805