さもミニマリスト的な投稿が続いているけど、まったくそんなことはなく、常に捨てられないもの(オット関係)に翻弄されながら圧迫感のある生活を送っている。
ひとりだったらもっと片付けは早まるのに自分の小道具や洋服しか断捨離する権限がなく、「あっ、あいつまた捨ててやがる!」と思われてるのは明らかで潜在的なオットブロックがかかってしまう。
友人Y子のご主人も捨てられない人種らしく、負けずに友人が潔く捨てている横から拾いまくり、「だんなの部屋は廃棄を免れた荷物でパンパンになってるよ」と笑っていた。それでも一気に断捨離を続けた結果、Y子の家はおしゃれなカフェのようにすっきりとなっていてうらやましい限りだ。さえぎるものがない部屋に飾られた観葉植物は一段と映えている。猫さえもオブジェのようだ。
うちはオットの所有物はとりあえず見て見ぬふりをすることにした、にしてもどうしても耐えられないことがある。
それは家電などの箱を保管しておくこと…パソコン、テレビ、扇風機、電子レンジなどなど。一度何のために取って置くのかと聞いたことがある。「修理に出すとき要るやろ?」と当然のごとく言ってのけた。
『ハッ?!修理に出す時?・・・・要らんやろ』
箱はその時になって探せばいい、空き箱を取って置くことの方がストレスだ。耐えられなくなったわたしはオットの留守中2階のロフトやその辺りに積み上げられた空き箱を捨てまくった。やっと引っ越して20年の重荷から解放された気分だった。無くなったことに関して文句を言われることがなかった。それはそれで解せぬところだ。
それが晴れて段ボールが日の目を見る日がついにやってきた。
今月はじめに一年以上前に買った芝刈り機が故障した。この空き箱はなんとなく勘が働いて捨てずにいたのでよかった。案の定その箱に嬉しそうに芝刈り機を梱包し、メーカーに送っていた。保証が切れていたのにも関わらず、点検扱いで修理してくれ、送料も無料で完璧な形でその段ボールと草刈り機は戻ってきた。「ほら、やっぱ箱はとっとかないかんやろ」とドヤ顔。
『役にたったの20年で一回だけでしょーが』
先日買った扇風機の箱もそのまま置いてある。また段ボールが積み重なっていく日々が続くかと思うとドヨヨーンとした気分だ。
絶対、この世の中、段ボール問題で悩んでいる人は少なくないと思う。
オットにはオットの言い分があるだろうと寛大な気持ちになる時もあるけど、あの大きな段ボールを見るたびに自分の心の中も狭まっていくような窮屈な感覚になる。
今度のオットの留守中、断捨離したい場所がある。工具類・雑貨類・使わぬ洗剤類、スプレー類、コード各種何本かずつ、などが入っている納戸だ。見て見ぬふりをしていたけど、いつかやらねばならぬ!
決行は今週末・・・・
昨日はこの辺りの要らないものを断捨離 紙類が積みあがっていた場所。
処分した物物たちの一部(人にあげた&メルカリ) 高校時代の筆箱にもさよなら
わたしのシンプル弁当(寝坊)
夜は疲れ果てたけど
汗だくになって流行りオクラ天ぷら揚げてみた
玉ねぎととり肉だけのチキンライス