『労い』…いたわり、大切にすること。特に相手の労苦を慰めること。(Weblio 辞書)
料理を作ってもらった時に感じる『労い』という言葉。
毎日の料理は頭を悩ますとこだけど、やはり手作りの料理を作ることは小さな絆をつないでいくことだと思う。
とてもおいしいと評判の店より、その人のために時間を割いて作った手作り料理には叶わないだろう。毎回、毎回はさすがに心は込めてられないかもしれないけれど、少なくとも潜在的には愛情が伝わっているはずだ。どんなに忙しくても、たとえ簡単、質素であってもいい。料理はやろうと思ったらだれでも出来る。そこに価値を見出さない人は、偏見で物を言わせてもらうと少しもったいない人生かもしれない。
うちの母は料理が好きで昔からほとんどの時間86歳になる今でも台所にいる。わたしたちが帰っても惣菜をささっと作ってくれる。昔からその素朴な料理には『労い』を感じる。おいしいのはもちろんだが、「おつかれさま、体をいたわりなさいよ」のメッセージがいつも込められていると感じるのだ。料理目当てなのか、『労い』目当てなのか、いつも近所の人や友だちが寄っている。
子どもの頃は当たり前と思っていたが、料理を作るということはとても「尊い」ことだと思うようになった。
たとえひとり暮らしだとしても自分に対しての「おつかれさま」の意味で自炊をするときっとじんわりと癒やされる効果があると思う。
もちろん自分にご褒美の豪華なランチとかもいいだろうけど、自分で作ったり、人に振るまったり出来る方がずっと元気をもらえるんじゃないかな。ひとり暮らしの姪っ子たちにも「自炊のススメ」を行っている。忙しいから大変だろうけど、そんな時こそ料理で自分を労ってほしい。よく納豆ごはんの写真が送ってくる。それでもよかろう!
手作りの料理は『労い』の魔法をかけてくれるのだ。
わたしもかろうじて料理は好きな方。(の割には常に雑なレパートリー)
母、ありがとう。
実家ごはん。
栗の渋皮煮
レモネード
これは何だったか⁈
夜にも卵焼き
あっさり味のお稲荷さん
芋茎の炒め物
おでん
一日のうち、結構な割合で食べることを考えている。
もちろん、外食もテイクアウトも大好き!
ただの食いしん坊なのか。