ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

母たちのノート  No.336

わたしの母は86歳になる。料理好きで、今でも長い時間台所に立ってあれこれと手のかかるものばかり作っている。甥っ子が帰省したこの夏に『総料理長』といって台所仕事をする母の丸まった後ろ姿をインスタグラムにあげていた。母のそばにたら食べることに困ることはまずない。

旅行にもほとんど行かない、晩年、詩吟やピアノをはじめた時もあったがやはり続かず台所へ戻って行きコトコトと惣菜を作ってるイメージが一番強かった。わたしはそんな母のことを物足りない人生だったのではないかと勝手に思い込んでいた。

ほとんど文句や愚痴を言わない母はこの小さな台所で一日を過ごす。「料理は脳トレ脳トレ、これがなくなったらボケるよ」と言いながら鍋に集中することで、つらいことも吹っ切ってきたのかもしれない、とその年老いた姿を見るたびに思う。

そんな母が料理のほかに没頭していることを発見した。先週、実家に帰った時に押し花で飾られた和紙のノートをたまたま見つけた。何気に開いてみるとそこには筆ペンで書かれた優しい文字と色えんぴつで小さなイラストが描かれていた。孫たちが帰ってきたことや季節の花が咲いたことなど、とりとめのない内容なのになぜかキューッと胸元をつかまれた気がして胸が詰まった。

そしてこの歳になって料理以外の楽しみをつづった雑記帳を見つけて嬉しくもあった。

見た目はどこから見てもおばーちゃんだがノートに綴られた言葉はやさしくて澄んだ尊い文面だった。料理を作る以外の人格をはじめて見た気がした。

嫌事や納得のいかないことは短いたわいのない文章に変換する毎日だったのかもしれない。だれの悪口も愚痴も書いてなかったが、その絵日記を透かしてみると母のモヤモヤしたものが浮き上がってくるのではないかと少し恐ろしくもなった。「言いたいことを主張するばかりが偉いんじゃないよ」と言われている気もした。

一方、義実家。義母はこの四月より施設に入った。わたしたちは空き家の溜りに溜った家財道具を片付けに月に4,5日通っている。義母は整理整頓は上手でどの押入れや引き出しを開けてもパズルのようにぎっしりと物が詰まっている。そしてオット曰く「きれいなゴミ屋敷」というのがまんざら間違っていない気がしてくるほど物が多い。といっても「わたしが生きている間は何ひとつ捨てないで」と言われているので嫁の立場としては明らかに不要なもの以外は捨てられない。

わたしはヤル気が出るはずもなく、何気に古いタンスの引き出しを開けるとそこにA6サイズの古いノートが7、8冊ほどきちんと並んでいた。それはまさかの料理ノートだった。なぜ驚いたか、義母はとても料理好きとはいえない人だったからだ。

長男の嫁として大家族を切り盛りしていたが、計量スプーンで測りながら料理する姿はとても料理好きとは思えなかった。楽しんでいるようには見えなかった。

台所にわたしが立つと「それ、ちゃんと測った?」「この〇〇〇のインスタント出汁が一番おいしい。」と納得のいかないことばかり言われていた。お正月のお雑煮も地元の醤油会社が販売している粉末のうどんだしを使うのが得意だった。オットにとってはその粉末だしが母の味だったのだろう。

 

そのノートにはテレビや料理本から見聞きしたと思われる料理のレシピが鉛筆書きでビッシリと書き込まれていた。時にはお皿にのった料理のイラストも描かれていた。苦手な料理をがんばろうという気持ちは大いにあったことは間違いなかった。

いつ頃のノートなんだろう?

義父が亡くなってから自分ひとりの食事のためにはこんなノートは必要ないはずだ。この料理がはたして食卓に並んだかどうかは別にしても家族のための書かれたのは一目瞭然だ。義母は味を塩梅でみることはなく、言われたとおりのレシピに頼っていたのだろう。  

 

今でこそ、男子も厨房に入り、妻も同等に働く時代。レシピもポンポンスマホからでてくるが義母たちの時代は手書きのノートを頼りに大所帯の料理を楽しもうとしていたのだろうか。味は「うーん??」という感じだったが義母の料理は小さな美しい有田焼にきれいに盛りつけられていた。『きれいでしょ?』とその盛り付けに満足そうに笑っていた。

母たちの手書きのノートは誰に見せるつもりもなかったはずだけど、わたしが見るタイミングだったのかも知れない。

選択肢がそれしかなかったとはいえ、家庭という自分のいる場所で生活を愉しんでいた母たち。

わたしもいつか家の台所と庭先の草花を愛でるだけで満たされる日が来るのだろうか。

 

 

 


全般ランキング

https://blog.with2.net/link/?id=2082805