『お前はボールとウエハスで大きくなったんだよ』と祖母や母から言われていた邦子。
『お八つの時間』は彼女が何歳の時に書かれたの定かではないが(怠惰な性格ゆえ調べようとしない)子どもだった頃のおやつのことが詳細に書かれている。チャイナマーブル、新高キャラメル、動物ビスケット、板チョコ、棒チョコ、味噌パン、カラメル、落雁などなど、この時代にしてはなかなかのラインナップだ。
『彼女の手にかかると平凡な日常が鮮やかな色彩を帯びて動きだす』とコメントがあったがこれぞエッセイという書きっぷり。
たった数枚のページの文章なのに、一気に彼女が子どもだった昭和初期に連れて行かれた。
カラメルを緊張の面持ちで作ってくれた頑固なお父さん、笑い上戸のおかあさん、
お仕置きをされてた時、『お姉ちゃんがかわいそうだ』と自分の飴玉を金槌で割り、半分くれた弟。
自分が子どもだった頃に思いを馳せてみる。
家は新興住宅地、裏の公園でバレーボール(正確に言えばアタックNo.1ごっこ)することに夢中。隣町の10円の売店に行って、クジを引くのがステイタスだったあの頃。向田邦子はお嬢さまだったのかそういう店へは行かせてもらえなかったらしい。
5歳離れた弟はいつもわたしの後ろをついて回っていた。
(今では言い負かされることも多く、会えば腹を立てている姉)
高価なものではないけどうちにもおやつは用意してあった。私たち姉弟は同じおやつを食べ同じ家での時間を過ごしてたんだな〜懐かしい。
あの頃だったら泣かす自信があったのにな。
このエッセイに『子どもの時に食べたおやつは後々の精神に関係があるのでは?』とある。いわゆる添加物がダメとかいうものではなく、色や形、香り、一緒に過ごした友だちとか、その当時の状況がおやつと共に本能に刻み込まれるのではないかと。たしかに毎日のことなので食事やおやつが脳に刻まれる確率は大きいと思う。
特におやつは食事とちがうワクワク感が倍増する。
今はおやつが豊富にあり過ぎて、思い出もとっ散らかりがちかも。
今、彼女が生きていたら、91歳。わたしの母よりずっと年上だ。現代の豊富でカラフルなおやつ事情を知ったらきっと面白がって、またエッセイに書くんだろうな。
そして明日『ボーロとウエハス』を買って、女学校の校庭を眺めて空想に浸っていた邦子のごとく、窓から遠くに見える遠賀川を眺めてみることにする。小説の料理やお菓子はすぐ真似して余韻に浸りたくなる。
ほんとに好きなのはダイエットのため控えているポテチ。罪悪感なしに思い切り食べる日が来るのだろうか…