内容とは関係のないことだけど電話で『専』の字を説明するのに『もっぱらという字です』と言った人がいた。
わからんって!
ドイツから帰省している友人から電話(なぜか家デン、それをスマホで撮る)
彼女はスマホが苦手らしい。ドイツいても苦手な人は苦手なんだ…
関西に住んだことはないはずの彼女はなぜか関西訛りで話す。多分宝塚へのあこがれからか?
(宝塚を目指していた彼女の宝塚ナンバーを聴いた記憶がある。小学生にしてはなかなかシュールな感じだった)
ほんとの理由は聞いたことがない。
ドイツに行ってもその関西訛りは変わらず。
ステキなオーストリア人と結婚した彼女はもう日本に住むことはないらしい。
とはいえ、毎年帰って来てはひとりで暮らす母親の心配をしている。
高齢のお母さんの心身の不調に悩んでいる様子。
隣の県に居ても心配なのに、はるかドイツに居たらひとりっ子の彼女は誰を頼りにすればいいのか?
こんな時、日本語も話せず、社会制度も違うオーストリア人の夫さんは無力だろうし。
今回の帰省はケアマネに会ったり、施設を調べたり、情報集めに奔走していたようだ。
遠くアフガンのことも気になるニュースだけど(電話しながら斜め読み…)
とにかく目の前のことからは目を背けられず、話題は終始、ひとりで暮らす母たちの話題と
人ごとではない自分たちの将来のこと。
日本に帰って来て、確実に老いていく母を見た時の彼女の気持ちを考えるだけでキュッとなる。
私たちには子どもが居ないし、こんな時はふとわが身に置き換えて考える。(子どもがいても関係ないよ、ってみんな言うけど、そこは根本的に違う問題だと思う。)
母たちの時代はまだ隣近所との付き合いも密接なので、お互いに普段から安否確認は出来ているようだ。
少なくともニュースの事件のような誰が住んでるかわからないとか、何日も顔を見ないということはない。野菜や惣菜の交換などもまだ習慣づいている。
この歳になってはじめて近所づきあいも必要と思うようになった。
考えたくないが私もいずれ通る道。
今、私の行動半径50㎞ぐらいは平日でも全然平気で逆に近所には無頓着。
車も乗れなくなったら実際は半径500メートルの付き合いこそ大事なのかもしれない。(PTAの経験が無いので、ご近所さんの顔も危うい、面倒なので避けてるふしもある)
半径500m、ドラックストアはシニアが歩いて行けるこの距離に並んで建っているとも聞いた。
生きていくには近所で楽しめる能力、人と積極的に関わる能力がいるのかも知れんな〜
遠くでワイワイやるのは大好きだけど、イザ、自宅周りの近所ではどうかというと、色んな思惑があり、気配を消して、静かにしていたい危険なタイプ。
彼女との話しは尽きなかったけど、どーも古い電話機の調子がおかしく、途切れ、途切れでとにかく聞こえにくい。
こっちが話してるのに、聞こえてないようで、違うこと話しだしたり
お互い声を張り上げ大声で話す様子が
ばーちゃん同士の会話みたいで超ウケた。
未来の私たちってこんな風かもね。
中村哲さん、2年ほど前に講演会へ行く機会があった。600人ぐらいの会場だったが超満席だった。
愛される理由がその優しく、思いに溢れた語り口でよくわかった。
常に謙虚で地に足がついた活動に頭が下がった。
火野葦平さんの甥。数年前、講座でお招きしたことのある若松の河伯洞の玉井史三郎さんとはいとこ。
やっていることは違っていてもその優しい眼差しは少し似ている気がした。
(というのは勝手な思い込みかな)
一年はバタバタ過ぎていくけど残りの12月ぐらいしっかりやろう。
ところで
↓クリスマスコンサートチケットは完売しました。ご協力いただいたみなさまありがとうー。
楽しい時間になるはず♬
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