ごきげんのツボ

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猫の引き際 No.175

どれくらい猫が好きかというと、あきらかに路頭に迷っている子猫を見かけたらといったん通りすぎても、また戻って連れてきてしまう、そこそこ重症な部類だと思う。

保護した猫は数知れず、実家や友人をつてに猫のいる幸せをもはや強引に配達してきた。猫社界ではそこそこ噂になるレベルに達していると思うが「恩返し」的なものはまだもらった記憶がない。

 

今日書くのは今は亡き三毛女のメイのことだ。彼女はうちの前の山に姉妹で捨てられていた。推定3ヶ月弱ぐらいの大きさで、ふたりで住宅地をチョロチョロしていた。どんな町にも猫派は一定数いるもので、その猫たちもすぐに隣のおばさんのごはんにありついた。だがそのおばさんはこの猫たちを家の中に入れる気はないらしく、外でごはんを与えていた。

姉妹猫を夏頃から見かけるようになって、いつのまにか木枯らしが吹く季節になった。ある日、洗濯ものを干していたら、アッという間にとリビングに滑り込み、絨毯の上で毛づくろい始めた。この瞬間「あ~、まんまとやられてしまった。」と思ったが、たぶんわたしはそうなるのを望んでいたのだ。今、思えば、「コイツは落とせる!」と言わんばかりの滑り込み具合いだった。メイだけがごはんもあげたことがなかったのにせっせとうちに通ってきていたのだ。

夫に「ね・こ・か・い・ま・す」と短文メールで報告し、晴れて彼女はわが家の一員となった。隣の妹猫の八ちゃんは相変わらず仲良しで、冬はうちの猫と一緒にストーブの前で過ごすのが日課になっていた。彼女はお隣の猫となり、外と中を行き来しながら悠々自適に過ごしていた。

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メイは犬のように全身で愛情を表すことはなかったけれど、淡々とわたしにつかず離れず寄り添ってくれた。猫の世界でも女子はツンと小賢しく、誰にも媚びたりしませんよと言わんばかりで、無邪気で素直な男子とは性格が異なる。家族のようにうるさくもなく、邪魔はしないが、「ちゃんと見守ってるから大丈夫よ」と言っているかのような佇まいがとても好きだった。

 

そんな彼女は21年間も生きた。

 

死ぬ間際まで元気で、庭に出たがったりしたが、最後の二日間はさすがに大好きなチュールさえも欲しがらなくなった。夜も二階で毎日一緒に寝ていたが、その二日間は階段を登れなくなり、わたしもリビングで添い寝した。その時間はわたしにとっても一番重苦しい、つらい時間だった。もういよいよ最期の時だと思いながら、スポイドで少しずつポカリを薄めて飲ませた。

 

7月29日の朝、蝉のうるさい声で目覚めた時は、すでに息を引き取った後だった。まだあたたかかったので亡くなったばかりだったのだろう。

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 ↑これは寝ている写真 

 

夫や当時、同居していた姪っ子は泣きじゃくっていたが、不思議なことにわたしは涙の一滴も出なかった。自分の感情が失くなってしまったのではないかと思うほど、次の日もその次の日も悲しいとか寂しいとかいう気持ちにまったくならなかった。

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涙もろいわたしがペットロスどころかあまりに元気なので周りが心配したほどだ。人間で言えば100歳近く、抗わずスーッと死に向かった姿にほれぼれとしていたのかもしれない。達成感のようなものも感じていた。

 

 

驚くことに今まで彼女がここにいた気配さえ、すっかりなくなってしまっていた。白い袋をメイに見間違うとか、使っていた食器を見ると食べに来ている気がするとか、そういう気配がない・・・思いもよらない現象だった。仏教の言葉で言えば成仏したということなのかもしれない。未練を残さないように思い出を全部、天国に持って行ってくれたんだ。

世間でいうペットロスを覚悟していただけに、「えっ?わたし大丈夫?」と肩透かしにあった感じだった。

友人は悲しさに蓋をしているんじゃないかと心配したが、そんな感じではなかった。次の日から普通に生活出来たことがありがたくもあった。悲しんでばかりでは空から見ていても心配だろう。

 

人生(猫生)を100歳まで全うしたら、飼い主もこんな感じになるんだな。

 

21年というと人間でも結構な年月だ。人間と一緒にするなと言われそうだけど、自分が老いた時はこの猫のように抵抗せず、自然に未練なく死んでいきたいと思うほど理想の引き際だった。よろよろしたのは最期の2日間のみ。ほんとに手の入らないいい猫だった。

 

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↑亡くなる月の後ろ姿 お尻もまだふっくら。

 

「こうやって生きなさいよ」、と教えてくれたことが猫の恩返しなのかもしれない。メイちゃんありがと。また会おうね。

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