ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

チーママだった成人式 No.119

遥かかなたの成人式。

わたしはその頃、大阪にいてなかなかファンキーな生活をしていた。(よく遊んでたということ、と言っても悪いことはしてないはず)雪の日、町内を歩いて満足してる今のわたしとは全然違う姿だったと思う。

 

うちの親はわりと放任主義で普段は何も心配もされていなかったが、早くから「成人式は帰りなさい、振り袖用意するからね!」と言われていた。その言葉にはまったく反応せず『もったいない!いらん、いらん』と突っぱねていた。その辺りのいきさつはよく覚えていないが結局、地元の成人式に半ばゴーインに出席することになった。あの頃のわたしはなんだったんだろう。

親が用意してくれた着物は朱色の色無地でぼかし模様が入ったもの。朱色はわたしがあまり好きな色ではなかったが、今、思えば母が好きな色だったんだな思う。母自身の着物や洋服もそんな色が多い。一緒に選ぶこともせず、なんと親不孝な娘だったことか。きっと寂しかっただろうな。

 

当日、着たくもなかったけど着付けし終わった時には、何気に嬉しかったのを覚えている。父が玄関先でパチパチとカメラのシャッターを押していた記憶だけが鮮明に残っている。いつになくはしゃいだ感じだった。ほんとにふつつかな娘で、それくらいしか記憶に残ってないけど、親にとっては一大行事、もう少し感謝の気持ちを表さないといけなかったと今更ながら深く反省している。安くはない着物を買わせて…親ってほんと大変だし、子が思ってる以上に色々考えていたことは今になったらわかる。ほんとにあの頃のわたしはその辺りのことは何も考えてかったな。もっといい子でいればよかった、ほんとに。

 

濃い朱色の着物は着てみると割と似合っていたけど、なぜかヘアメイクがまるで20歳の成人とは思えない田舎スナックのチーママ的な謎の仕上がりで、友だちとの写真はどれも明らかにわたしだけが保護者の面持ちで写っていた。当の本人は苦笑いするしかなかったが、両親と祖母はみんな嬉しそうだった。

あの写真は実家にある…怖いものみたさで見てみようかな。

 

地元の成人式、今年はどんなだったんだろう。数年前までは担当の係だった。ギラギラした子達対策に追われていた…毎年一定数見た目、面白い子たちがいるのは、これも伝承されている文化なんだろう。世間でいう立派な子ばかり整列していたら逆に気持ち悪いのかも知れない。あの子たちもいつかはいっぱしの大人なる。わたしの20歳はほぼ遊ぶことしか考えてなかったから、堅苦しいことは言えないけど、一言、育ててくれた人に『ありがとう』って言って欲しいな、お願い。

 

チーママ反省してますから…

 

 

 

 

 

https://blog.with2.net/link/?id=2082805