ごきげんのツボ

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2021年は着物で散策 No.125

 

去年書初めに書いた「着物で散策」は叶わなかった。 習い始めた着付け教室にコロナで通えなくなったからだ。京都育ちで明るく元気なM先生にも会えなくなり、昨年は寂しい年だった。お稽古中のわたしは七転八倒し、すごい形相で習っていたと思う。それだけ着物を自分で着るのは異次元の世界だった。その時はなんとか着れても、次回まではすっきりきれいに忘れてしまっている。きっと先生も「あれ~~?この人~なんだか面白いわ~」と不思議に思っていたと思う。
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先日の成人式のニュースを見ながら、30数年前のわが成人式を思い出していた。奔放に育ってしまったわたしは、型にはまった成人式に出席するのが、うっとおしく『振袖は着らんけんね』と言って両親に悲しい思いをさせた。結局、渋々と着ることになったけど、今、思うとなんと親不孝な娘であったのだろう。『最低だ。』
母が用意してくれた着物は朱色の無地のぼかし模様が入った着物で、帯は白地にのピンクと銀の華やかな模様だった。朱色はあまり好きな色ではなく、またしても親不孝を発揮して、見た瞬間に浮かない顔をしてしまった。
それでも式当日、新しい着物に袖を通し、気持ちは徐々に高揚していった。両親もじゃじゃ馬に振袖をやっと着せたという達成感で満足気な表情だった。カメラを向ける父の笑った顔だけは今でもはっきり覚えている。

その後も数回、着物を着る機会はあったがもちろん自分で着るなんて考えたこともなかった。あの時は40代だった母ももう高齢だ。着付けを習っていると言うと娘の不器用さを知っている母は「あんた、いつ着物姿は見せてくれるんですか?」とハハッ笑って半信半疑の様子。当の本人さえも疑わしく、早くコロナ騒動が収まってお稽古を再開せねば!と少々焦り気味だ。自分でコツコツやってみようかとも思っている。やる気さえあればできるはずだ・・・(たぶん)


当時の成人式の日の美容室。「ありえん!」と心の中で叫んだ。鏡を見るとスナックのチーママ風に仕上がってしまっていた。「なんで?この髪型?このメイク?」初々しい同級生と並んだ写真はどれも保護者然として写っていた。着物が無地だったのも「保護者」に拍車をかけていた。SNS時代だったら「その写真ばらまかないで!」と言いたくなるレベルだ。チーママの写真を見るたびに悲しくなったが、父はそんな写真をあちこちに飾っていたので親とはありがたいものだ。5つ下の弟は姉の着物姿にはまったく興味がなさそうだった。
振袖も一緒に選びに行くこともしなかったあの頃のわたしは何に突っ張っていたのだろう。ジャジャ馬娘と違って「普通」を願っていた母はさぞ寂しかったはずだ。

まだお稽古とは言え、着物を着るのがうれしい時が来るとは・・人生ってほんと愉快だ。好きな着物(スタンバイ済み)とナチュラルメイクで好きな街を散策する。2021年中に叶いますように。

 

 

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