1.まさかのまさか
2025年の新年からどうも気分が上がらない日々が続いていた。何事も楽しんでやろうと前のめりの気合いが薄れていて、60代の憂鬱と言いながらゴロゴロしていた。
そんなうつろな日の仕事中、夫から着信。「○医大と○○病院とどっちがいいと思う?」両方とも近場の大病院だ。
『は?何の話?』
「いや、再検査行ったら、ガンらしきものが見つかって精密検査せんといかんらしい。」 だいたい健康診断でひっかかったことも知らなかったがなんとなくピンとこず、他人事のように「◯◯病院でいいんじゃない?」とあっさり伝え、とりあえず電話を切った。
『うーん、どんな感じななんだろう。 多分まちがいなさそうな気がする。広がっていたらヤバイな。』それにしても夫は元々が感情が顔に出ないタイプだけど、まったくビビッてはいなかった。それでこちらも落ち着いていられたのかもしれない。少しだけザワザワしながらも仕事に没頭することにする。
2.検査の連続
病院が何よりも嫌いなわたしは付き添って行くだけでも生気を吸い取られそうだった。一日がかりの検査が数日続いた。と言ってもほとんどが待ち時間。『わたし要らんくない?』と思いながらも誰も家族が付き添っている感じだ。この検査結果が出るまでの時間は人生の中でもかなり重たい時間の部類だ。病院の威圧感に押されて、知識もないのに余計な心配が膨らんでいく。そしてガンが自然に消えたという内容のコンテンツを探して読みあさったりしてみた。夫は病院が大好きなのでわたしのそんな絵空事の話には興味はない。やっと検査が終わっていよいよ大量の検査結果をかかえての診察日がやってきた。全身くまなくスキャンして、生検のための入院もしたのでとりあえずすべてがわかる日だ。少しドキドキ。わたしの心配はガンが広がっていないかということと、抗がん剤治療が必要かどうかということだ。父が同じガンの抗ガン治療で弱っていった様子がどうしても忘れらず、いいイメージがないのだ。
3.あっさりとした告知
先生は50代ぐらいの友人のご主人似の男性だ。笑顔はほぼないが冷たい感じは一切なかった。「この2㎝弱のシコリが95%以上の確率がガンで、その周りのモヤッとしたものもおそらくそうでしょう。そのほかには転移などはないようですね。手術をしてみないと100%はわかりません。」淡々と細やかにレントゲンや生検の結果、どのような処置が準備できるかなど説明してくれた。最悪の結果ではなく、体の力がスーッと抜けていく。「手術だったら右肺を3分の1切除で放射線治療も選択肢としてあります。抗がん剤は必要ないですね。セカンドオピニオンが必要だったらこのデータを全部お渡しして紹介状を書きますよ。手術も前日までキャンセル出来ます。」と言われた。威圧感がないのでこちらもガンの告知をされているという実感がまったくない。 結局、1分ほど考えて『手術をします。』と同時、いや、わたしの方が早く返事をした。「すぐ普通に生活できるようになりますよ。」と真顔で話す先生の言葉が逆に心強かった。
なぜかわたしたちは検査前ほどざわつくこともなく、病院近くの中国人が営む餃子店に入って、とりあえず心配した以下の結果にホッした余韻にひたりながらつるんとした水餃子すすった。
4. 義母の勘
現在、義母の施設で働いている夫は当然のことながら義母には会えない。来週100歳を迎える義母はさすがに弱々しくなってぼんやりしてきたかと思っていたが、ここ数か月、元気を盛り返しているらしい。やはり生きたいという力が何回もやってくる不具合いをはねのけるのだろう。強い人だ。
長女が一昨年、突然亡くなった時も、死亡時刻と言われる時間に胸の痛みを感じたと言って、スピリチュアル的な親子の波動を自慢していた。(実際それは本当に大変だった。)
今回の夫のことは口外しないようにとスタッフの人に言っていたけどさすがに1ヶ月も姿を見ないと何かよからぬことが起こっていると見抜いたのだろう。一年以上、自分から電話をかけることはなかったが、はっきりとした声で電話をかけてきた。「○○さん、神様に手を合わせ、お金もちゃんとあげなさい。そうしないと○○の体が持たないよ。そしてあの家のことを大事にしなさい。」とガンの告知を受けた時より、まじビビるようなことを伝えてきた。義母の言うことはいつも大げさすぎるのでほぼスルーしているが、さすがに手術前のはっきりとした声であおってくる電話は本当に怖かった。『なんでわかるんやろか~(泣)』
覚醒したかのように息子を案じる義母の能力を疑う余地がなかった。しかもわたしは義母の大事な家のものを断捨離し続けているし、物に魂はないと言い聞かせつつ整理、いや捨てつづけている自分を肯定しながらもあわてて神様、ご先祖様に手を合わせて、手術の日に備えた。
(文章講座用)