夫婦で共通の知り合いのAくんが亡くなった、いや亡くなっていたというのが正しい。
奥さんがわたしの留守中に訪ねて来てくれていて、その後、なかなか言えなかったとメッセージで彼の死を教えてくれた。
多分静かに家族で見送り、気持ちの整理がついたのがやっと最近なのかも知れない。
一昨年の3月のことらしい。一年半も経っている。享年60歳。仕事関係でお付き合いがある前はトライアスロンのボランティアを一緒にやったこともある。
私たちのピンチを何度となく助けてくれて、話しやすく、頼りになる人だった。
なんらかの病に伏せっていることは薄々知っていて、電話口でも話すのが段々困難になっていっていた。
頻繁に会っていたわけでもないし、特別親しいわけでもなかったけど亡くなったとなるととたんに涙が溢れ出てきた。それもまったく止まる気配がなくウォンウォン泣いてしまった。同じ世代がこんなに早く亡くなっていく。
自営業だった仕事は息子さんと奥さんが引き継いで立派にやっているそうだ。
だんだん弱っていき亡くなる直前のAくんの心境はどうだったんだろう。
奥さんとは会ったことがなかったがわざわざ出向いて来てくれたことが嬉しかった。きっと気持ちの整理がついたんだろうな。
たまたまつけたTVでは昭和を追ったヒットソングが次から次へと流れていた。思い出しもしなかった懐かしい時代をAくんとの思い出と一緒に遡ってしまった。ずっと会ってなかったのにこんなにもリアルに覚えてるとは。
たまにもういつ死んでもいいや、と思うこともあったがやっぱりまだわたしは生きたい。
文章講座の先生が色々しなくても思い出すことが供養になると言われていた。
そんな気がする。