ごきげんのツボ

ほぼごきげんに過ごすためブログ

親子の残りの時間 No.391

1.ふりかえり 施設へ入所

義母は97歳の誕生日に倒れ、自ら「もう施設に行くよ。」と言い出し、数日後に住み慣れた家を送りだすことになった。家が大好きだった義母、嫁いでから70年以上を過ごした家は義母の手によって大事に愛でられ、家族の誰よりも愛情を受けているように見えた。

施設に入る時、義母が身一つで車に乗り込んだ姿は嫁のわたしにとっても悲しかった一コマだった。それ以上に認知などもなかった義母はどれだけ悲しかっただろう。すーっと何も言わずに施設から迎えに来た軽自動車に乗り込んで見えなくなった。

入所する前の晩、寝床で「あ~、行きたくないね。」と吐き出した一言は今でも忘れられない。さすがのわたしもこの時だけは胸がギュッとつかまれる思いだった。

 

2.夫の再就職

その数か月後、夫は定年になった後の再就職先を義母がいる施設を選んだ。これは施設オーナーの同級生の計らいによるものだが、なぜ夫がそこで働くと言ったのかいまだに謎だ。実際、実家は100㎞ほど離れており、軽く引越しするようなものだった。ひとりでサッサと荷物をまとめ実家へ帰り、施設で運動トレーナーとして働きだしたのだ。

「あれっ?そんなにお義母さん好きだったっけ??」考える間もなく、この場所をさっさと離れて行ってしまった。親の施設で働くってあまり聞いたことがないけど・・・はて。

 

3.かーちゃんは毒親

「かーちゃんはある意味毒親よね?」と忙しさのあまり、構ってもらえなかった学生時代をあきらめたように夫が振り返る。経営するピアノ教室に通って来る優秀なご子息たちがお気に入り。我が子たちの意見はお構いなしに母の独断により、習い事や塾などどんどんレールを敷かれていった。

学生時代は陸上ばかりしていた夫は早くも母のレールから外れたことになる。その後、夫のやることにはあまり興味を示さなかった。賢かった姉も最近では「学生の時は母の言う通りにしないとどうしようもなかったもんね。」ともらしていた。姉も姉で大学卒業後、敷かれたレールを蹴散らして義母が好まない方向へ進んでしまった。うん、やっぱりそうなのかな。

まさか夫はテリトリーを外れた義母の施設で最後に文句でも言ってやろうと思っているわけではないだろうが、ほんとに不可解すぎる。長男としての義務と思って仕方なくのことだったかも知れない。それにしてはいそいそと出て行ったなぁ。

 

4.弱っていく親を間近で見る

99歳を過ぎた義母は食欲はあっても吸収が追いつかなのか、どんどん痩せていき、現在30㎏ぐらいだそうだ。割り合い元気そうだが、先の長くないだろう親を見るのは好き嫌いは別にしてもつらいらしい。

「どんな感じ?」と聞くと「嫌やね、、、」とつぶやく。

これは毎日身近で親を見ている人にしかわからない感情なのだろう。私たちが面会に行くときはシャンとしているが、普段の生活は人生を終いかけている人そのものだと言っていた。

ある日、「〇〇〇が体操教えてる姿はかっこいいよ。」と義母が薄く微笑んだ。今までの息子のことに無関心を装う義母を思うと最高の褒め言葉なのでびっくりしてまった。

ふたりの間には相変わらず親子らしい会話はないらしいが、嫌だったら夫もそこで働かないだろうし、意思の強い義母もはっきり拒絶するだろう。

「俺のことには興味がなかったくせに、人にそれらしく話しよる。」幼かった頃の思い出を脚色をしてストーリー仕立てに仲間に話しているらしいのだ。「今更、何なんやろね。」と言いながらもそんなに嫌な顔はしていなかった。

ドラマのような展開はないにしろ、なにかふたりにやさしい感情が残ればいいと思う。

足りなかった時間の埋め合わせなのかな。

 

わたしにとって正直な姑は不得意ではなく、むしろ嫌味がなく好きだ。

血の繋がってる家族でこそむずかしいことがある。

 

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【文章講座用】です。

なんと突っ込みが入るかな。

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