ごきげんのツボ

ほぼごきげん、時にはふきげんな日もあるブログ

シュールだった文章講座   No.338

 

台風に振り回された三連休の初日は文章講座だった。現在、先生は関東なのでZOOM講座だ。

知り合いのワンピース農業女子Eちゃんから誘われてホイホイと新婚の彼女の家へ行ったのは3年近く前になると思う。どんな先生かも知らずに2回ほど、たわいのない話をしながら対面で受けていた。「なんか作家らしい・・・」ぐらいの認識で隣の浴衣を着たおじさまぐらいの感じにしか思っていなかった。ほんと失礼だな~~~

 

先生は神山典士(こうやまのりお)さんと言って十分に有名なノンフィクション作家さんだった。慌てて先生の著書を読んだ次第だ。そんな先生にワンピース農業女子が東京にいた頃の縁でたまたまありがたく教えてもらっているのだ。

 

気取りがない先生で参加も自由な感じに甘えすぎて、なかなか殻を破れずにいるところだが、ただひとつパソコンに向かうのが億劫ではなくなってきたのは確かだ。

書いていると微妙にモヤモヤする気持ちを整っていくし、伝えたいことを文字にするのは合っている気がする。(個人の見解)

ただ構成とか表現とかを全無視なので読み手にとってはメリットはないと思われる。そして書き終わった満足感とともに、未達成感も同時に味わうことになるのだ。

 

「あ~、もっと気の利いたことや上手い表現で書けたらなぁ」とか思うけど・・・最近は70%出来たらいい派で過ごしてるので良しとしている。

 

先生の文章はキレがあるし(当たり前か)、エネルギーの塊となってと迫ってくる感じがある。さすがノンフィクションライターだ(わたしが言わなくてもよい)

先生の東京の生徒さんたちも、教えを受けてグッと引き込まれる文章を書いてくる人ばかりだ。勝手に親近感が沸き、facebookに上がる皆様方の物語を読むのが待ち遠しくなってきた。

 

先日の講座での先生の言葉、「たとえちゃんした言葉を持たない人(ウザッ、マジで済ませる)、文章を書いたことがない人でもどんな短い、間違った言葉でもいいから少しでも書いていたらきっと人生が変わってくる。」と言われた。

文章を書くことにはチカラがあるのだ。

ある参加者Kさんの作品で仕事上で出会った男の子の話からそういう話になったが、先生の生涯の使命として、文字にすることで人生が豊かになるということを伝えていかれたいのだろう。特に今では子どもたちの作文教室に力を入れられているようだ。いつも子どもの作文が学校のカリキュラムから無くなったと嘆いておられる。

 

終了後、講座のグループのページに先生のエッセイと共に貼られていたメッセージが沁みた。

 

文章は今日も生れてくる。それぞれのささやかな人生を載せて。私は産みの苦しみの共感者として、彼らに寄り添う。より禍々しい作品が生れてくるように。 それは書き手としての自分自身をも鼓舞する、「劇薬」でもある。(勝手に載せました)

 

先日の回は提出した作品の内容からひたすら涙に耐えていた反面、農業女子のEちゃんがずっと頭の上にのせてる結構な大きさのオカメインコのいたずらと作品のギャップがシュールすぎて何回も吹き出しそうになった。

みんな画面にはインコが居ないかのように話していたけど、わたしは半分はいたずらインコにばかり気を取られていた。(インコ好き)

その涙とインコのシュールな絵図を思い出しても今でもにやけてしまう。

 

わたしの笑いの沸点が低いのかな・・・

 

このゆる~い感じが好きなのだ。1日5分の筋トレのようにそのうち薄っすら筋肉がついてくるかもしれないし、こないかもしれない。それでも自分のために書き続けよう。

 

また来月もオカメなインコちゃん来ないかな。


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