ごきげんのツボ

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母たちのプライド (姑編 その2)

昨日は義母の退院だった。95歳、軽い夏バテから普通に生還。

入院先の先生(わたしの同級生)と話したら『いやー、元気よー! 完璧自立やけん、(介護認定の)意見書も書けんもんね。

来年の目標とか聞かされたよ、ハハハー』

 

『そ、そ、そーよね、元気なのはありがたいけん、文句は言えんもんね!ほんとありがとうー』(実は涙目)

 

しかし、今回はこの台風…どうしたものか!

そんな心配はよそ目に家に着いたら、『やっぱり、家で小仕事していないと病院だったらボケるわ!あ〜〜家が一番ね』とあちこち片付け始めた。そうそう、この義母サナエさんはなぜか標準語で話す。実の親子みたいにざっくばらんな関係になってる友だちもいるがそうはならない。『The 姑』の緊張感がいつもある。

 

そして恐る、恐る、答はわかってたけど聞いてみた。

『今から、うちに行きませんか?台風くる前に』

『はっ?北九州? とんでもない、やっとゆっくり寝れるのに、というかひとりにさせてちょうだい』

とにかく住み慣れた家をこよなく愛しているのでてこでも動く気配はない。家も心なしか家主が帰って喜んでいる気がした。

頭のしっかりした人を引っ張って行くわけにも行かない。色々買い込み、閉まりずらい雨戸を閉めて、一応万全にはしてきたつもり。

家は頑丈だし、安全な立地なので大丈夫だろう。夫は絶対外に出るな!』を100回ぐらい繰り返して家を後にした。

 

年寄り扱いのお遊びはイヤ、おばあちゃんと言われるのはイヤ、実生活がスキ、医者からも自立と言われ、この愛する家を動く気がないならば、私たちに出来ることは気がすむように応援するしかないよね。

嫁としてほとんど何も出来ない罪悪感のようなものも感じるし、行政の人とのアドバイスのギャップにも落ち込んだりする。かと言ってしっかりしている人を心配だからと、本人の思いとは違う枠に入れてしまうというのは子どものエゴのような気がしてきた。

帰る道中、名古屋の義姉が電話の向こうで『元気な間は望むように自分の家で生きてもらいましょう』とため息をついていた。

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都市高速から見える福岡タワー。

帰り道これが見えたらホッとする。

 

 

あっ、サナエさん、こんなことも言ってた。

れいこさん!テレビ電話が欲しいんだけど、今のと交換できる?』

 

『えーーっと、てれびでんわはむずかしいですよ…』

 

 

スマホが使えるかどうかこーなったら挑戦してもらいたくなってきた。

 

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